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MBTI診断の結果を変える

一時期はやったMBTI診断の結果を変えたいと思っていた。

私はINFJ(提唱者)にあたるらしいのだが、当時の私はそれがものすごく嫌だった。

私にとって提唱者とは「理想主義者」であって、それがとても嫌だった。

私の中で「理想」というのはエベレストのように高い、まるで届かない山のようなものだったからだ。

私には「なりたい自分」が存在していた。それは最初「普通」という言葉で表現されていた。

カウンセリングの先生から「普通とはなんですか?」と聞かれてから、普通についてよく考えるようになった。

そうしてみると「普通」はとても規模の大きなもので、私の持っている普通は「みんなの良いところの寄せ集め」であることが分かった。私のなりたかった「普通」は、

いつもニコニコしていて、
自分の機嫌を自分で取れて、
失言はせず、
思慮深く、
相手の話を聞けて、受け止められて、
仕事はミスなく出来て、
仲間のフォローもできる、
人に慕われて、
頭はよく、
家事が出来て、
部屋は美しく、
体型は細く、
おしゃれで美しい、
ケセラケラで人生なるようになる精神を持っている、
貯金ができて、
趣味があって、
ひとりの時間も楽しめて、
反省もできて、
ごめんなさいやありがとうがちゃんと言えて、
物を捨てられて、
毎日お風呂に入れて、
子供を愛していて、
子供のやりたいことをやらせてあげて、
子供の成長を伸ばしてあげられて、
ヒステリーは起こさず、
ママ友もいて交友関係は広く、みんなともうまくやれていて、
旦那さんとも仲が良くて、

と、上げればキリがないと思われる。

これを全部網羅してる人間がいるんだろうか。

私の「普通」には、怒ったり喚き散らす人は存在していないし、泣いたり悲しんだりしてる人も存在していない。

圧倒的超人パワーで怒りも悲しみも、笑顔に変えてしまうということなのだろうか。

いや、そんなやつおらんやろーー。

ということで、私の中の「普通になりたい」論はだいぶ薄くすることができた。

ただどうしても精神の弱さ、脆さ、生きにくさ、は感じており、そこについては、なんとか改善していきたいと思っている。

私が読むINFJ(提唱者)の解説には、どれも周囲に気を遣いすぎて疲れているとよく書かれていた。

※もしくは自分が気にしているのでそこをピックして記憶している可能性がある。

まぁそのとおりで、本当に毎日、周囲に気を遣いすぎて疲れている。

子供がいないときも、子供ができてからも、そのコミュニティの中でずっと苦しんできた。

うまくやるには自分を装う必要があるように感じていたし、そうすべきだし、そうしなければ自分は爪弾きにされてしまうだろうとずっと考えていた。

そこでMBTI診断の質問の中で、これは変えられそうだなと思うものを、変えてみたら、診断結果も変えられるのではないかと思うようになった。

これは変えられないな、と思うものは規定通りに回答して、これは変えられるかも!と思うものを、変えられる範囲の回答に変更していく。

するとどうだろう、自分の診断結果が変わった(笑)

そりゃあ選択肢変えてるから変わるのは当たり前なんだけど(笑)

自分のできる範囲で、その回答に近づけていけば、私は別の診断結果を得ることができるのだ。

それを1回、やってみたいなと思っている。

と、同時にこれを書き始めた時に「なぜ【提唱者はダメ】というレッテルを貼っているのだろう」と感じ始めてしまった。

こういうのが書き起こすことの良さなのではないかと思うが、

私は私の自分としての資質を否定している。
否定したいのだろう。

自分はダメだ、もしくは【自分でないものになりたい】欲とでも言えるんじゃないだろうか。

理想に向かって努力できること(今回で言う「診断結果を変える」こと)は、私の提唱者らしいところなのかも知れない。

今日より明日の自分が良くなれるように私がこうして考えることは、私にとっての良さに繋がっている。

私は提唱者としての、理想に向かっていく力を利用して、今より良い明日を目指したい。

変化したい、という自分の目標値を達成したい。

それはもしかしたら「変化しなくても自分はこれでいい」と思えることになるかもしれないが、

それもまた「意識の変化」なのだと思う。

私からすれば「こんなだめな自分から変わらなくても良いと思える」ようになることは、わりと青天の霹靂くらいの変化になる。

もう、三十年くらい、こんな自分が嫌いで、嫌で変えたいと思って生きてきたのだから。

とりあえず、きっかけは何でもいいから、初めて見ることが大事かなと思っている。

結果より過程を、評価できる自分にもなりたいから。


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