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他人の顔色を気にしていた私が、家では誰よりも自分の顔色を気にしていなかった。

父が嫌いだ。

父はいつも無言で、自分の気分で、不機嫌になる人間だった。
その不機嫌を態度に出しては、部屋の温度を下げさせた。
それがいつもひどく嫌いだった。

父のその状態を知るのは決まって晩御飯の時で、
ーーあぁ、食事がまずくなる。
そう思ってばかりだった。

私は職場でもよく他人の顔色を気にした。
悪い空気を感じればそれを和ませようとしたり、息を殺したり、気を遣う日々だった。
それが父のせいかは、よく分からない。

でも数日前に、ふと気づいてしまった。

あれ、私もこれ、同じことしてたんじゃないの、と。

元旦那と生活していたとき、私は不機嫌になると無言になった。
イライラしていて、イライラしすぎて、何も喋る気持ちになれなかった。

自分がしているのは当たり前だったのに、他人がしているとこんなに不快になるのか、と思った。

よく親を観察していると、母の機嫌は割と「常に一定」だった。
父だけが「明らかに何か機嫌が悪いとき」が存在しているし、それを表に出すことも、何も感じていないようだった。

私は初めて「不機嫌をぶつける」ということが、いかに人を不快にしていたかを実感して、
またそれを「自分が行っていた」ことに驚いた。

正直、ちょっと前までは「外でこれだけ気を使っているのだから、自宅ではもう頑張りたくない」みたいな気持ちだった。

今となってわかる。
それは間違っている。

家でそんな風になるほど、外で頑張らなくていいんだってこと。

外にいる人と、家にいる人、どちらが大切かなんて、よくよく考えたらよくわかることなのに。

あの頃の私には全然分からなかった。
自分のことだけで、いっぱいいっぱいだったからだ。

私は今、余裕のある生活をしている。
精神的に余裕のある時間の仕事を、させてもらっている。
金銭的には少しキツイ。
そうやって、自分がいっぱいいっぱいの環境から抜け出して、そして初めて気づいた。

自分が、どれだけ傲慢だったか。

少しなら、頑張っているんだから、だから許されると、だからいいだろうと思っていたことが。
どれくらい、人を不快にさせていたか。

あぁ、そうか。
自分で自分の機嫌を取ることの大切さって、こういうことなのか、と思った。

大事な人を、失いたくないのなら、自分の機嫌は自分で取るのが大事なんだ。

自己啓発本に何度も書かれていたその言葉、知っているだけのその言葉が、私の中にグッと入ってくるのを感じた。

脳の奥へ浸透していく、というのが正しい気がする。

私は自分の親を通じて、自分を客観視することができた。

ーーこれからは、自分の機嫌は自分で取ろう。

恥ずべき行為だったと、自覚した。
この自覚が、よりよい未来を自分へ運んでくれると信じている。

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