見出し画像

おっさん暴走族はなぜ走るのか? 脱炭素社会の暴走族を真面目に考える

デイリー新潮の「おっさん暴走族」という記事を読みました。30代、40代のいい歳をしたおっさんたちが、今だに暴走族をしていて困ったものだという内容でした。

彼らを「モラルが低い人たちだ」と批判するのは簡単なのですが、冷静に立ち返って、ちゃんと考えてみる必要があると思います。「一体、彼らを暴走させているものは何なのか?」と。

私は、彼らを走らせているのは「モラルの低さ」ではなく、「価値観」なのだと思うのです。それはどういう価値観かというと・・・20世紀、世界で資本主義経済が大きく発展した時代に、人類が作り上げた最も共通で、最も正しいとされた価値観──

「温室効果ガスをたくさん出すヤツの方がカッコいい」

という価値観です。


例えば、以下のようなものです

  • 豪邸に住みたい

  • 高級車をたくさん所有したい

  • 有名ブランドの服をたくさん着たい

  • ぜいたくな食べ物を毎日食べたい

  • 世界中を飛行機で旅行したい

どれもお金がかかることであり、温室効果ガス排出量(カーボンフットプリント)が多い行為です。1950年代以降の高度経済成長期を迎え、大量生産・大量消費が是とされた時代に、温室効果ガスを多く排出することは、公然と「イケてる行為」だったのです。

純白のメルセデス
プール付きのマンション
最高の女と ベットでドン・ペリニヨン
欲しいものは全て ブラウン管の中 まるで悪夢のように

浜田省吾「MONEY」

これは1984年に発表された浜田省吾の曲ですが、寂れた地方出身の若者が「金を稼ぐ」ことで人生を一発逆転しようする野心が描かれています。この歌詞の内容はどれもカーボンフットプリントが過度に高いものですが、次から次へと欲しい物がブラウン管の中(テレビコマーシャル)に現れ、皆がそれを求める姿は希望に満ちた成長物語というよりも、そのルールに従わざるを得ない当時の若者の苦しみを描いているようにも見えます。

そして、20世紀生まれのおっさん暴走族に多大な影響を与えたであろう「ヤンキー漫画」についても考えてみます。以下のものは、暴走族を描いた漫画『特攻の拓』に登場する人物と、その愛車のリストです。

爆音小僧(ばくおんこぞう) 浅川 拓  FZR250R
外道(げどう) 鳴神 秀人  Z400FX-E4
朧童幽霊(ロードスペクター) 榊 龍也  GPZ900R
魍魎(もうりょう) 一条 武丸  GSX400FSインパルス
夜叉神(やしゃがみ) 鰐淵 春樹  Z1000J
獏羅天(ばくらてん) 沢渡 弘志  Z750-D1

『疾風伝説 特攻の拓』wikipediaより

バイクの型番の数字の部分が、排気量(CC)を表しています。排気量はエンジンがスピードとパワーをどれくらい出せるかのベースであり、当然、これらは化石燃料を燃やすことで得られる力です。

ご覧の通り、主人公の浅川のバイクだけ、低めに設定されていることがわかりますね。彼らはケンカの強さや度胸、仲間との絆などを駆使して、抗争を続けるわけですが、排気量だけは絶対的なヒエラルキー上位の基準でした。
いくら暴走族の頭(ヘッド)で、ケンカがべらぼうに強くても、排気量の低いバイクに乗っていたら馬鹿にされる、という厳しいカースト社会であるのが暴走族なのです。ルールを嫌う暴走族であるにも関わらず、このカーストに異を唱える人間は、不思議なことに誰一人いませんでした。

ですから、作中でも描かれている通り、彼らは大手メーカーから販売される新車を(バイトをして)いかに早く手に入れるか、もしくは仲間から安く譲ってもらうか、あるいは業者(大体暴走族OB)に頼んで違法改造するか──そういった排気量を高めていくバトルが暴走族漫画の真髄であり、ある意味で彼らは、大人たちを憎んで反抗しながらも、いちばん資本主義社会に忠実な子どもたちだった、と今ならば言えてしまうのです。

より温室効果ガスを出すアイテムを、よりたくさん消費させること。それが高度経済成長期に築かれた絶対的な「イケてる基準」でした。それらはコマーシャルを通じて啓蒙され、推奨され、多くの人(特に若者)が信じることとなりました。もし、この時代に環境保護を重んじる矢沢永吉的なカリスマが現れて、

「Youたち・・・むしろそれダサいよ」

と言ってくれればよかったのですが、そんな人はいませんでした…(むしろ矢沢永吉も温室効果ガスをたくさん出す方向のカッコよさを志向していた

車は文化か、ただの移動手段か

物議を醸したトヨタ社長の言葉があります。

豊田章男社長が、あるイベントで「豊田社長が乗ってみたい新しい車とは?」と聞かれて「ガソリン臭くてね、燃費が悪くてね、音がいっぱい出てね、そんな野性味溢れた車が好きですね」と答えたのです。

この発言は、昔の古き良き時代を知るカーマニアからは「よくぞ言ってくれた!」と絶賛されましたが、一方で環境負荷を考える人からは「地球温暖化が懸念される中、世界的企業の社長がこんな発言をするのはどうなのか」と批判を浴びました。

これは"価値観の争い"になっている好例だと思います。どちらが正しいかを論ずるのはとても難しく・・・そもそも見ているフレームワーク(枠組み)が大きく違うからです。

章男支持派の考えとしては、車を「文化」として捉えており、環境面ばかりを踏まえたラインナップは多様性を欠いた面白みのないものであり、昔のようなロマンある車を作って欲しいと。
一方で、環境保護派は、車を「ただの移動手段」として捉えており「環境負荷は小さければ小さいほど良い。エンジン車でなくても良い。なんなら車でなくても良い」という考えです。この両者の考え方は交差するところが無いため、議論してわかり合うのは難しいでしょう。

先ほども書きましたが、20世紀に作られた「温室効果ガスをたくさん排出することはカッコいい」「温室効果ガスをたくさん排出することが豊かさである」という価値観は、20世紀に青春時代を送った人間にとって、血液のように馴染んでいます。豊田社長の青年期はまさにこの時代なわけですね。

  • 高校生の頃にアルバイトをして、中古で●●のバイクを買った

  • 大学生の頃に恋人を▲▲に乗せて、どこどこに行った

  • 結婚して子どもが産まれてからは、■■に乗って家族でキャンプに行った

そして、車はただの移動手段ではなくて、どの車に乗ってきたかということが、各々の人生の大切な「思い出の付箋」になっている。「いつかはクラウン」という広告コピーがありましたが、人々にとってどの車に乗るかは社会的ステータスの象徴であり、自分の労働で得た誇らしいトロフィーでもありました。

もうひとつ付け加えるならば、尾崎豊の「盗んだバイクで走り出す」で有名な歌詞の通り、70年代・80年代に、退屈で窮屈な田舎を若者たちが飛び出る唯一の方法は、車かバイクだったのだと思います。温室効果ガスを排出することは、すなわち自由を得るための手立てだったのかもしれません。

20世紀、確かに車は「文化」でした。
しかし一方で、車の及ぼす環境負荷は見ないふりをしていた(もしくは十分に知られていなかった)のも確かであり、私たちは脱炭素を実現していく上で、古い価値観から新しい価値観への移行をしなければいけません。決して車が文化でなくなるのではなく、これから「新しい文化」を作ることが求められるのだと思います。

AKIRAの電動バイクが示すもの

価値観の移行はすでに始まっています。
Z世代(1995〜2000年代に生まれた世代)の若者は一般に環境意識が高いと言われていますが、欧州で広まった「Flight shame(飛び恥)」という言葉がその象徴でしょう。

欧州では、富裕層は旅行に行く際に飛行機に乗るのが当たり前でした。しかし、飛行機は非常に多くの温室効果ガスを排出します。だから「飛行機に乗るのは恥だ」と若者が中心に言い始めたのです(欧州は陸続きのため、別に飛行機に乗らなくても鉄道で国内外の旅行に行くことが可能です)。こうした流れを受けて、フランスでは電車で2時間半以内で行ける短距離区間の航空路線を全面廃止することが決まりました。逆に寝台列車が復活したりもしています。

これと同じことが今後、暴走族界にも起きてくるはずです。

欧米では、2030年代からガソリンエンジン車もハイブリッド車も法律によって新規販売ができなくなり(これは脱炭素のためでもあり、それを題目にしたビジネス上の争いでもあります)、日本もその流れに従います。

ハーレーダビットソンもBMWもカワサキも、すでにEVバイクを開発していますが、未来の暴走族はEVバイクに乗るのが当たり前となって、AKIRAのワンシーンのようにいかに静音でキュイーンと加速するかを争うようになるでしょう。

                  『AKIRA』© 1988 マッシュルーム/アキラ製作委員会
          (1982年当時で、乗り物を電動バイクに設定していた大友克洋の先見性)

そして、20世紀に生まれ育った人間は、街中のエンジン音に慣れてしまっていた最初の世代であり、最後の世代となるのだと思います。大型バイクの重低音やスポーツカーの爆音は単なる大きな音ではなく、社会的ステータスを纏っていました。「音量の大きさ=排気量の大きさ=社会的ステータス」という公式が成立していた──ゆえに暴走族は敢えて大きな音を競っていたわけですが、その式が変わるのです。トランプゲームの「大富豪」では4枚同じ数字のカードが出されると、それまでと数字の価値が逆転するという「革命」が起きます。それと同様に、

「温室効果ガスを出さないヤツの方がカッコいい」


と価値観が真逆に変わるのです。エンジンを吹かす音量は、何も式に影響しなくなり(暴走族のメンバーであっても)単なる騒音にしか聞こえなくなるのです。

2050年頃にはEVが主流になり、内燃機関がロストテクノロジーとなって整備する人間も消え、ガソリンエンジン車はオールドカーマニアのみが所有する遺物となるでしょう。仮に自分でメンテナンスして乗る人がいても、小さな子どもからは「何あのくるまー? オナラをしながら走っているの?」と笑われてしまうかもしれません。そうやって音の認識すら変わるのです。

内燃機関がアスファルトを跋扈した時代を知る老人のみが、その音を聞いて「あんな古い乗り物をまだ乗っている物好きがおるのか…久しぶりに血が騒ぐのう・・・」と昔を懐かしむのでしょう。


昔もそして現在も、おっさん暴走族は「温室効果ガスを出すヤツのほうがカッコいい」という旧時代の十字架を背負って走っています。彼らを非難したところで暴走は止まりません。求められるのは「価値観の救済」です。

高度経済成長期の資本主義・広告文化によって作られた価値観に代わるものを、彼らに社会が提供しなければなりません。それは(温室効果ガスを大量に出しながらも)社会の発展に尽くしてくれた石炭産業の従事者などに、新しい職業や居場所を用意してあげるのと同じことです。
暴走族の「公正な移行」です。

誰でもできる、CO2排出ゼロの暴走方法

なので暴走族の「公正な移行」に貢献する、何か良いアイデアがないかと考えてみました。暴走行為におけるカタルシスと、求められる条件とを、ざっと並べてみると次のようなものです。

・誰でもできて楽しいこと
・適度に社会に迷惑をかけること(反社会性)
・有り余る体力の使い道となること
・スリルがあって怪我もすること(最悪死ぬ)
・なるべくお金を使わずに済むこと
カーボンニュートラルであること【絶対条件】

この条件を満たす、めちゃくちゃ良い候補が見つかりました。


 「パルクール」 です


(↓の動画を見てください)


温室効果ガスをまったく出さずに "暴走" してる!


パルクール(Parkour)とは、フランス郊外の若者たちが生みだした、走る・跳ぶ・登るといった移動することで心身の鍛錬を行う運動方法である。「移動の芸術」とも呼ばれる。

脱炭素社会に求められる価値観

予想しますが、近い将来、街中の構造物やビルの上や人の家の屋根の上を無許可で縦横無尽に走り回るパルクーラーたちが、厄介な「暴走族」として登場します。人類初のカーボンニュートラルな暴走族です。パルクーラー同士のチームの抗争も生まれ、漫画の題材にもなるでしょう。国民的アニメ「サザエさん」でカツオがパルクールにハマって、家の屋根を壊して波平にこっぴどく叱られる、そんな回が放映される日が来るかもしれません。

最後に。これを読んでいる読者の9割は暴走族ではないと思いますが、でも一般人であっても「温室効果ガスを出すヤツの方がカッコいい」という価値観を引きずったまま生きていることは、すでにみなさんお気づきでしょう。私だってそうです。これは「ゆるい呪い」です。乗り物という形を取らなくとも、承認欲求や、ファッションや食べ物・嗜好品の消費を通じて、私たちは日々見えない形で “暴走行為” をしています。そんなときに、

「Youたち・・・むしろそれダサいよ」

と言ってくれる、心の中のカリスマを持てるかどうか。
それが21世紀に問われるのだと思います。

この記事が参加している募集

#SDGsへの向き合い方

14,602件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?