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移住 記事まとめ

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移住やUIターンした人の体験談やインタビューなどのすてきな記事をまとめるnote公式マガジンです。
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2021年9月の記事一覧

「熱海へ移住検討」を、ここからスタートしませんか?

ただただ、応援します! 筆者も熱海在住ですが、移住を判断するのに半年という時間を要しました。 当初は宿泊施設を利用しながら滞在していましたが、「一時的な滞在」のみでは踏ん切りがつかず、選んだのは「2拠点生活」でした。 ぜひ、この土地の良さも悪さも知って頂きたい!と、我々は思っています。ご自身の肌に合うのか、確かめて下さい^^ 「2拠点」「お試し生活」を実現する、マンスリー賃貸という形どんな事でも、気軽に試せる方法があれば嬉しいですよね! 熱海は土地柄そのエリアによって特徴が

なにかが変わる弟子屈暮らしvol.1

東京都出身神奈川育ちの一度も田舎に住んだことがない私が、阿寒摩周国立公園の町弟子屈町(てしかがちょう)に住んでみた感想や実体験を綴ります。 北海道や地方への引っ越しをご検討中の方々の参考となれば幸いです。 弟子屈町はここ! ❏なんで弟子屈町にしたの?冬の晴れた日、スノーシューで摩周湖の景色を見て、『ここに住んだら凄い楽しいかも』と直感的に思った。 弟子屈町には、摩周湖・屈斜路湖・硫黄山など道東屈指の自然が集まり、来る度に新しい発見がある。また道東の中心にあるので、道東

東京のど真ん中で一生賃貸&多拠点生活派だった私が、10日で郊外に家を買い、移住を決めたわけ。 #1

2021年9月30日。 いつの間にか夏が過ぎ、秋が訪れ、気づけば1年の終わりがすぐそこに。 先日36歳の誕生日を迎えて、今日は必ずnoteを書こうと決めていたので、最近の「わたし」について改めて書いていきたいと思う。 この夏、私たち夫婦は家を買った。(想定外)人生の節目は勝手に訪れるんじゃなく、「自分で節目にするもの」だと思っている。 34歳になった日、父の余命宣告を受けて生き方を変えた。 35歳になった日、CRAZYから独立して働き方と在り方を変えた。 36歳になっ

2022年4月に東京23区→山形県鶴岡市に移住します

東京都港区の六本木一丁目にあるIT企業で、広報PRを担当する39歳が山形県鶴岡市に2022年4月に移住します。 せっかくなので、これから地方在住型ワークとか、移住を考えている方々に参考になればと思い、少しずつnoteに綴っていこうと思います。 なんで移住するの?初めましての方には、いきなりの報告で恐縮ですが、2021年11月に第3子を授かる予定です!! もう少しで、こんな感じのファミリーになります!! 大人2人、子ども3人で都内で暮らすことについて、改めて考えることが

働き方は変えずに、ありたい暮らしを叶える!東京から福岡にUターン移住。

キッチハイク「ふるさと食体験の準備室」メンバーインタビュー、第5回目は執行役員の川上真生子(@makiko_kawakami)さんです。 2021年夏に東京から福岡へUターン移住した川上さん。そのきっかけや、福岡暮らしの魅力、そして、キッチハイクで目指す食べることへの豊かさについてお話を伺いました。 ー 川上さんは、今年の夏、福岡に移住したんですよね? 7月に、地元の福岡市に約10年ぶりに戻ってきました。大学で上京してから、社会人の最初の数年間も福岡勤務だったので、2度

嵐をくぐり抜けた先に、まるで奇跡のように「夢」がかなった話

こんにちは、清水です☀️ 先日、と言っても早くも3ヶ月が経ちますが、富士山麓の山中湖に移住しました。 もともと東京で生まれ育ち、その後信州へIターン移住した僕たちでしたが、今回もまた、ただの引っ越しではなく、あらゆることが次なるステージへ移行するという意味で、より積極的に”移住”と書きました(^^) そもそも今回、僕たち家族が移住することになった背景には、こんなことがありました。 コロナのことを直接の”きっかけ”に、自営でゼロから作り上げてきた仕事が転覆。そして同時に、

山で働き、山で遊ぶ。秘境にUターンした20代男子が愛する"唯一無二"な椎葉村

お話を伺ったのは、椎葉村内の林業会社に勤めている尾前翔平さんです。 翔平さんは、現在26歳。 椎葉村の尾向地区出身で、高校進学を機に村を出てから、大学、そして1年間の林業学校を経て、株式会社尾前林業に就職しました。 椎葉に戻ってきて5年目の、貴重な椎葉ネイティブの20代です。 そんな翔平さん、味のあるかっこいいデニムジャケットが印象的ですが、 なんとこれ、職場から支給されている作業着なんだとか。素敵! 今回は、翔平さんが椎葉村に戻ってきた理由や、林業という仕事のこと

田舎にカフェが出来るまで。

時は過ぎ、廃墟のような状況から1年ほど経ち、 蝦夷マルシェも自分のペースで営業出来る様になって(コロナで暇)自由な時間が増えてきた頃、 「カフェの方はどうするねん」 という声がちらほら聞こえてきた。 「せや、一階廃墟のままや」 そんな事言われても人手がない事には蝦夷マルシェもカフェも両方やるなんて到底無理だ。 と、頭を悩ませていた時だ、 仕込まれてたのかと思うような話が舞い込んだ。 以前蝦夷マルシェのリゾートバイトに来てくれていた「かのちゃん」が地元の埼玉で仕事を辞

海の目の前で焼きたてピッツァ!移住夫婦が下田で開業、サワードウピッツァとナチュラルワインのお店。

2021年7月、下田市吉佐美の入田浜にサワードウピッツァとナチュラルワインのお店、「FermenCo.(フェルメンコ)」がオープンしました。開業したのは東京からの移住者、佐々木さんご夫妻(佐々木健人さん、沙織さん)です。健人さんの趣味から始まったピザ作りが、海の目の前という最高のロケーションでの1号店開業につながりました。お二人が移住を決めたのはなんと4月!そこから7月の店舗オープンまで約3ヶ月。運命的な物件との出会いや開業までの流れ、そしてこれからの下田での展望などについて

自分に素直にやさしくいられる島暮らし

香川県、高松港からフェリーで40分。人口約150人の男木島。島の子どもたちは10人もいなくて、小中学校が再開したのはここ5年。先生は担任制でなくて、教科担当(ひとりひとりの個性に合わせた教育スタイルを確立しやすい環境で羨ましい!ICT推進にも期待!)。世界を旅して、男木に魅了され、移住してきた家族もいる。国内外から移住者が少しずつ増え、島の民は特別扱いするわけでもなく受け入れ、人と人との距離感が心地よい。子どもたちは公園がなくても、自分たちが遊びたい場所で自由にかけまわる。ス

新卒で島に移住して半年で分かったこと。

2021年3月。 新型コロナウイルスの影響をもろに受けた就職活動を終え、気づいたら見知らぬ離島に降り立っていた。 待ち受ける風景は空が青く、海は透き通るように綺麗。 物音もしないどころか鳥のさえずりが響き渡っている。 僕は今、奄美大島にいます。 先日、世界自然遺産にも認定され注目度の高い離島かもしれません。 なんで僕は今、奄美大島にいるのか。何をしているのか。 誰よりも長かった就職活動 苦難を乗り越え、東京の会社にいくことも決まっていた2021年1月。 東京に住みながら

東串良町に移住者が作った新しい醤油と空間が誕生した話。[村山立樹さん@山中醬油]

こんにちは。移住支援コーディネーターです。 黒豚、黒牛、黒糖……など、かごしまの伝統食品には黒い見た目のものが多いのですが、その中のひとつが醤油です。 江戸末期には海外へ輸出したという経歴もあり、味噌同様、大豆と麦の旨みが生きたまろやかな味が特徴です。 ○参照:かごしまの食ウェブサイト「どんどん鹿児島」(https://www.kagoshima-shoku.com/item/2358) 今回は、一昨年東串良町にJターン移住、デザイナーで、醸造会社を立ち上げた村山立樹さ

おてつたび in 北海道~ブロッコリーとじゃがいもと、時々おにぎり。~

とりあえず今と違うことがしたい。自然に触れたい。 そんな雑な理由で飛び込んでみたら、全く違う世界が待っていた。 コペルニクス的転回にまでは至らなかったけど、逆ホームシックにはなっている、ちょこっと特別な場所についてのお話。 おてつたび=旅×お手伝いまず、おてつたびってなんぞ。 おてつだいと旅を掛け合わせた言葉で、お手伝いをしながら知らない町を旅して日本の魅力を感じよう、というサービスである。 知ったきっかけはSNS。友人が白浜のおてつたびに参加した写真を投稿していて、

田舎暮らしで一変した、野菜の手に入れ方

安定した生活を捨て、東京から千葉県外房に位置するいすみ市へ引っ越しておよそ半年。田舎暮らしでの再発見とは・・・ 「野菜=スーパーで買うもの」 12年暮らした東京では、それが当たり前だった。都会のスーパーでは、大して季節を感じることもなく、個性のないキレイな野菜たちが並んでいた。 私にとっていくつかある「田舎暮らしって最高〜」のひとつが、都会では見たことのなかったような新鮮かつ安全な野菜が安く手に入ることだ。 まずは直売所で家から車で5分圏内に、2つの直売所がある。 いず