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【識者の眼】「外から見える行動の異常がすべて当事者責任とされることの苦しさについて」堀 有伸

堀 有伸 (ほりメンタルクリニック院長)
Web医事新報登録日: 2021-10-07

うつ病で治療中の患者さんから、「上司に『結局は気の持ちようだから何とかしろ』と言われて、がっかりしました」という話を聞きました。「精神的なもの」は大した問題ではない、きちんとした対策など考えなくてよい、当事者に自覚が足りないことへの注意を促せばそれで事が済む問題だと考え続けたいニーズは、まだまだ強く存在するようです。

認知症高齢者の場合ですと、「動けなくなって寝たきり」になっている場合のケアのニーズに比べて、「体は動くけれども、判断力が衰えて徘徊や興奮などの異常な言動が出現する」場合のケアのニーズは認められにくい傾向があります。本人と周囲の家族が何とかするべき問題だと判断されやすいのです。たとえば、高齢者夫婦の二人世帯で、夜間に徘徊して外に出て行こうとするおじいさんを、夜中におばあさんが必死にとどめている状況を聞くと、なかなかつらいのですが、すぐに入院等の対応ができる場合ばかりではありません。

日本では総合病院に心療内科や精神科が設置されるのは必須とはされていません。その影響もあり、せん妄で不穏となり、点滴抜去など医療者の指示に従わない行動が現れた場合に、その患者さんが治療を受けられずに強制的な退院になることがあります。しかしよく知られているように、せん妄は感染症や代謝異常、外傷等の影響で脳の機能が一過性にでも低下し、その結果として生じている言動の異常ですから、これに対して道義的な責任を問われて治療を受けられなくなるというのは、フェアな事態とは考えられないのです。しかし、多忙な総合病院等の現場で、強制退院させた当事者の医療スタッフばかりを責めることはできないでしょう。やはり、そもそも「精神的なもの」を軽く扱ってよいという当初の想定に問題があります。

今度は逆に、「精神的なことを言い訳に、どんな行動も許容しなければならないのだとしたら、秩序が守られない」という反論が聞こえてきそうです。私もそう思います。「精神的なこと」だから何でも許されるべきだと主張するのは、精神医療の関係者にとっても、社会からの信用を失いかねない危険なことだと思っています。そして、「どのような場合には許容され、どのような場合に自己責任が問われるべきか」を見分けることに貢献することのためにも、精神医学は存在します。

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