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ショートショート1 「競争トイレ」


世の中の誰もが絶対に触りたくないものを
私は毎日のように触っている。

もしもあなたが私と同じ立場だとしたら

鼻をつまみ目を隠し、
関わることすらしたくないと思うに違いない。
そんな人間が嫌がることを私は生業としているのだ。

そんな私は、トイレである。

こんな私だが、

実は、人類史上で最も衛生的かつ画期的な発明品とも言える。

不衛生を悪と捉えるのであれば、私はそれを救うヒーローというわけだ。

私の存在がなけれは、そこら中に悪臭が漂いまともな暮らしはできない。

(そう考えればトイレの凄さが伝わるだろう)


無論、クライアントは人間たち。

彼ら彼女らから排泄されるものを

私は力の限り流しまくるのだ。

加えて、ここ最近はただ流すだけではない。

クライアントがリラックスできるよう音のサービスを始めたり、抗菌対策という機能まで搭載し始めている。

トイレという空間はクライアントにとって、時に、心を落ち着かせることができる空間として。

あるいは、仲の良いもの同士で

本音や陰口を言える空間として・・・
人間の排泄物や物理的なお腹の痛み、
悲しみや苛立ち、緊張や不安などの
負の感情をトイレは受け流してきた。

ほら、そこのあなたが苦手としているであろう偉そうな上司も、
なんだかんだでトイレには頭が上がらないのだ。


そんな衛生史上の名器

トイレにも悩みはある。

それは、トイレ同士の競争だ。

(ここから、より非現実的な世界観となる)

実はトイレの世界にも競争が存在している。

トイレは生涯の中でどれだけクライアントに尽くしたかが評価されるポイントとなる。

つまり、どれだけクライアントの糞尿を流すことができたかだ。

流されたブツは地球の真ん中へと向かって行き蓄積される。
最終的に蓄積したブツが地上まで到達するのだが、より地上到達に近いトイレが、トイレ界としての頂点を掴むことができる。


頂点を掴んだトイレはどうなるのか。

正直、それはまだ私もわからない。

なぜなら、頂点をとった者は
まだ存在していないからだ。

冷静に考えてみて欲しい。

地表から地球の中心までの距離は6,378km

排便管の径Φ100mm。
この配管が直線距離で6,378kmあり、
毎日10cmずつ蓄積したと仮定すると
63,780日かかる。

年数にしてざっと、175年だ。

本格的に日本に水洗のトイレが普及し始めたのが1920年ごろだから、その頃までに生きているトイレがあるのなら、頂点というタイトルをはじめてとることになるトイレが現れるのは2095年頃だろう。

(単純計算すぎて呆れる。)

正直、そんな競争トイレに

参画している自分が馬鹿みたいに思う。

隣のトイレが使われる度に、

栄えある2095年が遠のくばかりだ。

気の遠い競争から、

抜け出すためにはどうしたら良いものか。

トイレも私の悩みも詰まるばかりである。

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