なかなか興味深いニュースが出たので、読み込んだ記録として残します。
1人のクリエイターとしてはこうありたいと願います。
2024.5.10 18:52 追加状況更新
iPad Proのプロモ映像での混乱
iPad Proのプロモ映像についてAppleが謝罪しました。全文を引用します。
Apple、新iPad Proの動画「Crush!」について「的外れだった」と謝罪
元動画は👇こちら。
新型iPadのPVは、なぜここまで不快なのか 日本の著名クリエイターらが「嫌悪感」続々考察「多様性を破壊」「『必然性』が欠落」
読み取れる事実
・トール・ミューレン氏の謝罪声明はクリエイティビティに言及したアメリカらしい典型例
・今回の炎上は謝罪への認識が異なる様相を浮き彫りにしている
・謝罪声明の日本語訳の最後「だが、この動画は的を外していました。申し訳ありません」の「だが」は、英文には含まれていない
・「だが」は訳者が日本人向けに入れた逆接の接続詩
・この動画についてクリエイターから批判的なコメントが多数出ている
こうありたい姿
今回の炎上の背景として、外国人と日本人ではモノへの愛着の湧き方が違う、と感じました。それはそれで国民の性質なので仕方がないと思います。ですから今回のような炎上は必然です。
日本人の視点から見ると、iPadの薄さのインパクトを伝えるために他より薄くないモノを押し潰すという発想はすごい。日本人ならまず思いつかないでしょう。そこは発想の起点として認めるべきです。映像は気持ちのよいものではないですが、私は、Appleよくやった、と最初に言いたい。
そして謝罪声明の日本語訳の最後の「だが」の句。訳者がアメリカ的な謝罪形式をできるだけ日本よりに向けたいという意図が見えます。言語間、文化間の差をなるべくフラットに保とうとする職業的な使命を感じました。これも素直にすごいなと思います。
ただ、誰かが批判を始めると一声に世界的に批判の声があがっていくのは、うがった見方としても、この炎上を捕まえたのでそれに乗っかりたいみたいな妄想が見え隠れしていて、なんか気持ち悪い。
そもそも批判をしている人たちは、メディアからマイクを向けられたクリエイターの方々でしょう。それらの偉大な方々が、クリエイトする視点で「ただ壊すだけ」の動画を批判しまくっている、しかもその理由が冒涜だのクリエイターへの敬意がないだの、すべて自分の視点からのみ。
私は日本人なので、モノに対する敬愛・尊敬もわかるし、職人的な気持ちもよくわかります。
でも批判する方々は、創造(クリエイト)と破壊が1セットであることをお忘れではないですかね。破壊すること=クリエイターへの冒涜は、単なる言い過ぎのような気がします。また、壊すということにモノを作る側のクリエイターが批判的であることも理解し難い。
今回の動画は気分がよいことはないですが、まずは動画の意図はなんだろう?と最初に考えて、そこから作り手の意図を汲む、これが次なるモノをクリエイトする立場の人がすることじゃないでしょうか。
日本の職人さんのモノへの敬意・愛着心・向き合い方はすばらしいものですし、自分もその点はいつも気にかけているつもりです。でもモノを敬愛することと、モノへの敬愛を持つことは違う。モノを敬愛していたらそのモノが壊されることに自分が壊される感を感じますが、モノへの敬愛を持つこと自体をリスペクトしていたらモノはあくまで道具として見ることができ、一歩引いた創造的な見方(破壊も創造の一部であると認識すること)ができるはずです。
少しでもモノづくりに関わるクリエイターのみなさま。
表現手法が冒涜だからって、クリエイター魂をしょうもない型にはめるな!表現手法は本来なんでもありなはずだろう!!!
と声を大にして、言いたいことを書いてみました。
あとマスコミもやっぱり、クリエイターが何を考えているのか掘り切れていないですね。クリエイトする立場からの記事がでないかなぁとひそかに期待しながら、この事象をしばらく注視することします。
みなさまはどうお考えでしょうか。
モノをつくる(クリエイトする)とはどういういことか。こういう機会にでも一度考えられると、自分の今後に活かされる何かが得られるのではないかなと思います。
追加状況
#創造 #クリエイト #破壊 #モノづくり #毎日note #ニュース #Apple #iPad