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「僕にわかるのは、僕の気持ちだけなのかもしれない。」 だから、自伝本を読もう。 #発達障害啓発週間

4月2日から8日は「発達障害啓発週間」です。文字通り、発達障害について啓発する週間な訳ですが、そもそも「啓発」って何だろう?と考えたり。
啓発とは「教え導く」という意味があるそうで、ふむふむ、であれば「発達障害ってこうなんだよ!」「発達障害のある人って、こうなんだよ!」と、知り得る限りを書き連ねたくなるものですが、ここは、大好きな本を参考にすることにしましょう。

「他人の立場に立って考えなさい」といわれますが、他人の立場になんて立ちようがないのです。それは発達障害じゃなくてもそうで、その人の立場はその人じゃなきゃわからない。エスパーじゃないんだから、その人の気持ちを代弁するのなんて不可能。そこからのスタートでいいんだと僕は思います。(p.126)

栗原類(2016)「発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由」

うんうん。私たちは、法律や診断基準で定められた「発達障害とは」について説明することはできても、十人十色、百人いれば百通りの「発達障害のある人とは」を説明するには、謙虚な姿勢が必要なのでしょう。今日はそんなお話。

さて、みなさんはこの「発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由」という自伝本を読んだことはありますか。モデル・タレント・役者として活躍し、発達障害があることを公表している、栗原類さんのご著書です。「ネガティブすぎるイケメンモデル」というキャッチフレーズが有名ですが、栗原さん本人が自身のことを「ネガティブ」と表現したことはなく、この言葉に対して不思議に思ったり、その事象に対してイライラしたりしたことがあったといいます。

感情が不安定になること自体は、発達障害そのものの特性ではありません。ですが、感情が不安定になることで、本人やそのご家族、周囲の人の生活に支障が出る、ということが大いにあります。こうした二次的な支障も含めて問題を解決していくためには、まず、①発達障害そのものの特性を知るということ、そして、②違和感や付き合いにくさを感じても、その原因を相手に押し付けないこと(例えば、レッテルを貼ったり、蔑んだりしないこと)が重要ではないかと考えます。

発達障害そのものの特性を簡潔に説明しよう

では、発達障害そのものの特性とは何なのか整理していきます。
発達障害には、注意欠如・多動症(ADHD)や自閉スペクトラム症(ASD)、学習障害(LD)、また他にもいくつかの種類があります。栗原さんは、ADD(ADHDの過去の診断名)と診断されていますが、DSM-5という新しい診断基準に沿うと、自閉スペクトラム症や学習障害の特性も重ねて有しているようです。

ここでは代表するADHD、ASD、LDに絞って、その特性(診断上の観点)を簡潔に説明しますので、これを機に、是非目を通してみてくださいね。


【注意欠如・多動症(ADHD)の特性】とは
 
持続する「注意・集中力の欠如」及び/又は「多動・衝動性」がみられます
【自閉スペクトラム症(ASD)の特性】
とは
 「臨機応変な対人関係の苦手さ」
及び「こだわりの強さ」がみられます
【学習障害(LD)の特性】
とは
 「読むことの困難」
及び/又は「書くことの困難」及び/又は「計算の困難」がみられます


個々の生活上の支障は、簡潔には説明できない

これらの特性は障害のない人にも当てはまる可能性がありますが、「発達障害がある人」は、このような特性を “生活上に支障が出るだけの度合いや程度で” 有しています。 そして、その生活上の支障が、実際にどのような形で現れるかは、簡潔に書き示すことは難しく、個々様々であるのです。では、どうするか。当事者の体験談に触れましょう。

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栗原さんの場合、ADDの特性である「注意・集中力の欠如」が影響して、このような生活上の支障があったと語られています。

Q:記憶できないというのはどういうことですか?
「学校に行く前に、母親から『玄関にごみを置いておいたから、それを外に出して』と頼まれ、それに対して『はい』と返事をするのですが、結局、ごみを出し忘れて学校に行ってしまうということが何度もありました。
一般的に見れば簡単なことかもしれませんが、それができませんでした。ごみを出すということ自体を忘れてしまうため、ごみがあっても目に留まりません。さらに、なんでここにゴミがあるのか?という違和感すらありませんでした。
こういったことが、自分が学生時代に発達障害の影響で一番苦労したことです。」

【あの人の健康法】モデル・俳優の栗原類が向き合ってきた「発達障害」

また、著書の中でも、このようなエピソードが語られています。

・僕には「歩くコース」や「物の配置」にこだわりがあります。(中略)一番気持ちが不安定になるのは、物の配置が、今まで覚えていたものと変わってしまうことです。たとえば、冷蔵庫の横のポケットに置いてあった飲み物を取り出して、使い終わって戻そうとした時に、取った場所に違う物が置かれていると、どうしたら良いのかわからずテンパってしまいます。本来置いてあった場所に置けないと、そこに数秒間、棒立ち状態になってしまうことが多くありました。(p.15-16)

・習字のようにただ書き写す、思考が伴わない書写は、繰り返せば、そこそこ読める程度の文字で書けるのですが、通常文字を書く場合は、書写ではなく思考が伴います。そうなると途端に字が汚くなり、たくさんの時間と労力を使って練習しても、いっこうに上手に字が書けません。(中略)授業中やテストで手書きにこだわる文化が、発達障害児には大きな壁になっています。(p.18)

栗原類(2016)「発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由」

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皆さんはこうしたエピソードを読んで、どう感じましたか。「そういうことか」と腑に落ちたり、他の体験談も聞いてみたいと思ったかもしれません。
これらはあくまで個別の事例、生活の一端に過ぎませんが、当事者の話を丁寧に聞き取ることで、私たちは、その人とよりよく過ごすための "対処の方法" を考えたり、見出したりすることができるかもしれません。そう言った意味で、自伝本を手に取り当事者に寄り添う機会が、皆さんにもあればいいなと思っています。

そして、皆さんもきっと実際の生活の中で、発達障害のある人と関わる機会があると思います。その時には、発達障害そのものの特性を思い出して、例えば安易に「聞いている顔をして、人の話を聞いていない」等とレッテルを貼ったり、「この人は字が下手だ」と蔑んだりすることはせず、より良い対処の方法を、一緒にみつけていってもらいたいです。

最後は栗原さんの言葉を借りて。「僕にわかるのは、僕の気持ちだけなのかもしれない。」だから、知ろう!考えよう! #発達障害啓発週間