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【短編小説】また会えたらなんてもう言わないよ

青い空が広がる初夏の午後、私は静かなカフェのテラス席に座っていた。カフェは街の大通り沿いから一歩外れた道にあり、大通り沿いからの車のエンジン音はかすかに聞こえるほどだ。テラスの周りは、新緑の葉が揺れる音と、無印良品に流れるようなBGMが私の周りを包んでいた。夏が始まったような日差しが私の髪を照らし、心地よい風が頬を撫でていく。

カフェの内装は木目調で、温かみのある雰囲気が広がっていた。テーブルには、ひまわりの花が一輪挿しで飾られていた。まるで誰かのことをひっそりと待つような印象を感じた。


店員さんにアイスコーヒーの注文を頼み、ミルクと砂糖については必要ないと答えた。倒置法のタイトルを使った大阪の旅行本を読んでいると、周りから関西弁を使った会話が耳には入り久しぶりにこっちに来たなと実感した。グラスの表面に細かな水滴が浮かぶアイスコーヒーを手に取りじっくりと味わった。


私の大阪は、大学の時付き合っていたから一色だ。もうそれから来ることはないと思っていたけれど、大学時代の友達の結婚式で来ることになった。

北斗、私が元々付き合っていた恋人の名前。彼と出会ったのは大学の新歓だった。賑やかな声と笑顔が溢れる会場で、彼が最初に話しかけてくれた。「お酒は弱いですか?」と、優しい声で。私は少し緊張しながらも、彼の親しみやすい笑顔に惹かれた。その日はたくさんの人がいたのに、彼の存在だけが不思議と心に残った。

私たちが所属している大学では珍しく、お互いに東京出身だったこともあり、すぐに共通の話題が見つかった。地元の話やどんな景色や風景を見て生きてきたのか。

次第に見かけによらず彼も人見知りらしいことがわかって、それも好きだった。大学では、恥ずかしいからという理由でよそよそしくも授業終わりに一緒に会って帰る関係がしばらく続いた。


GWが終わり初夏に近づくタイミングで、初めて一緒に飲みに行った日のこと。ちょうど今くらいの気温と風が流れていた日のことだった。

小さな路地裏にあるお好み焼き屋でくだらない話をしながら、いつの間にか彼の前に置かれていた灰皿は一杯になっていた。私が煙草を喫うを見て、真似して喫い始めたと言った日から、大学の喫煙所でばったり会った時には聴いている曲や読んでいる本を共有し合った。店の明かりが彼の横顔を柔らかく照らしていた。

その日、私たちはたくさん話し、たくさん笑った。音楽が二人とも好きなことを知って、その日からよくカラオケに行ったり、一緒に楽器の練習などをした。私の好きなアーティストの曲を紹介し合い、新しいアルバムが出るたびに感想を語り合った。北斗の部屋で過ごす夜、スピーカーから流れる音楽に耳を傾けながら、将来のことや夢について語り合った。小さなベランダに向けて、彼のいない部屋でギターを弾く時間はとても幸せだった。

一緒に作ったプレイリストは、二人の思い出が詰まっていた。高架下沿いを自転車で走りながら聴いた曲、夏の海辺で聴いた曲、二人でいつも歌っていた定番の十八番。海辺からの帰り道、二人だけの車内で作ったプレイリスト。海沿いの夕陽がキラキラ輝いていて、この時間がずっと続けばいいのにと何度も何度も何度も思った。

大学の卒業が近づくにつれて、お互い将来に対して大事にしていることが違って、少しずつズレていった。それでも私は大阪から離れて東京の地元に帰ることを決意し、彼はそのまま大阪に残ることを選んだ。

地元に帰って、彼が大阪に残った後、私の心はぽっかりと穴が空いたようだった。彼の存在が当たり前だった日常が、突然色あせてしまった。毎日のように話していたこと、笑い合ったこと、すべてが遠い過去のように感じられた。


彼と別れて、新卒で入社した仕事が始まってしばらく経った休日の夜のこと。ふと散歩をしたいと考え、近くの公園のブランコに身を預けた。実家から勤務先は遠かったため、一人暮らしを始めたが思いの外寂しく、私はラジオで夜な夜なオールナイトニッポンを聴く日々が続いていた。

『初恋の夜に』というタイトルのラジオを開き、パーソナリティがリスナーから集めた初恋の物語を読んでいた。ラジオを少量にして聴きながら、大きな木の葉と木の葉が擦れる音と鈴虫が鳴く声が心地よかった。ブランコに揺られながら、静かに目を閉じた。

一通りリスナーからの話を読み終えて、懐かしいジングルが流れ、彼と過ごした日々がまるで映画のように心のスクリーンに映し出される。彼と聴いた音楽、彼と見た風景、彼が笑った瞬間。それらが心の中で輝きを取り戻していった。

「北斗も今頃、どこかで同じ風を感じているのだろうか」と、ふと思った。彼もまた、同じように過去を思い返しているのかもしれない。そう思うと、少しだけ心が軽くなった。

スマートフォンを手に取り、ラジオからSpotifyに切り替えて思い出の曲をもう一度再生した。優しいメロディーが流れはじめ、ブランコを降りて、私は公園の出口に向かって歩き始めた。


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