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好きな落語「柳田格之進」が映画と小説になっていた

落語が好きでたまに見たり聞いたりする。
その中で好きな落語がある。
それが柳田格之進。
恐らく業界内で有名なのは古今亭志ん朝のだろう。
彼のように人情からお笑いから恐怖まで何でも出来る人はいない。

ところが、自分は柳田格之進を知ったのは彼ではない。
自分は立川生志のDVDで知った。

これが圧巻だった。
これまで、自分にとって落語で衝撃を受けたのは柳家喬太郎の師匠である柳家さん喬がやる弱法師よろぼし
人情ものが得意な彼がやるのでどんな話かと思ったらとんでもなく下げのひと言で衝撃を受けた。

しかし、立川生志の柳田格之進を見た時は、それに並ぶ衝撃を受けた。
そんな落語が映画と小説になったのを知ったのは今さっきである。
題名は碁盤斬りごばんぎり

落語を元にした小説原作の映画化、というわけではなく、落語を元にした映画化を小説化、という流れらしい。
自分はまだ見られていないが、折角iPad mini 6を購入して横置きでもスピーカーがステレオになったので、是非見てみたいと思う。

なおnoteで本作の人気の映画レビュウ記事があった。
自分はまだ映画を見てないのでネタバレを避けて記事を読んでいないが、原作落語を知らない人はこれを読んでおいても良いかも知れない。

話が脱線するが、弱法師は盲人を題材にした落語である。
例えば京極夏彦の小説、鉄鼠の檻でも盲人の按摩が登場する。
自分は健常者だが、盲人がいる事も盲人の話でも何の違和感も無いが、近年ではセンシティヴという事で自粛する流れがあるらしい。

最近ではデブやブスなども禁句に近い。
確かにそれらで馬鹿にされてきた人達からはたまったものではないのもわかる。
しかし、曰く看話禅や黙照禅などは互いに揶揄された言葉を自称するようになったと言うではないか。
Nワードもそうだ。
だから、現在進行で揶揄するのは問題だが時代背景を考慮した語彙として言われるのは問題ないと自分なんかはそう思うのだが、如何だろうか?
実際、件の碁盤斬りは語彙が現代的すぎて時代劇小説として読めなかったという批判がある。

現代的な解釈が入りつつも語彙に溢れた小説をやりたかったら京極夏彦に任せておけばいいんだよ。
別に800頁前後のレンガ本だけじゃなく、嗤う伊右衛門のような短い作品だって書けるんだから。

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