Xアカウントを消した。
先月、10年以上続けていたXアカウントを消した。自分の悩みや問題の原因がそこにあると思ったからだ。「アカウントを消した方が良い」ということは、5年前くらいからうすうす感じていた。
アカウントを消すことによって、自分の人生に変化がもたらされたと感じる。
そして、Xによる自分への害、Xをやめるに至った経緯、Xをやめたことによる効果について、少しずつ振り返り、記録に残したいと思い、noteを書く事にした。
Xに思いの丈を綴ろうと思っても、綴る場がもうないし、Instagramでは自分語りをできず少々退屈だからでもある。
まずは、それらの大前提となる「自分とXとの関わり」について、
つぎに、Xによる自分への害について
そして、Xをやめるに至った経緯
最後に、Xをやめたことによる効果と現状
以上のように、大まかに4つに分けて語っていきたい。
初回である今回は、自分とXとの関わりについての導入となる。
1.はじまり
私がX(以下Twitter)を利用し始めたのは、2012年5月。大学一年生の初夏。
当時、学生が持っている携帯電話は、ガラケーからスマートフォンへ急速に移り変わっていく最中、過渡期にあった。
ガラケーのまま大学へ入学した私が、自らの時代遅れさ(SNSへの疎さ)(ガラケーのダサさ)(ガラケーのイモさ)(ガラケーの不便さ)に気づくまで、そう時間はかからなかった。
驚くべきことに、ほとんどの同期はスマートフォンを持っており、入学前にTwitterであらかじめ知り合いを作っていたのだ。
一方で、高校時代親しい友人がおらず、流行り、SNS、最新ガジェットの情報に触れることなく生きていた自分は、mixiも、LINEも、Twitterもよく分からなかった。それはひそかなコンプレックスであり、裏返しとして、敢えて自分から知ろうとせず、向き合おうともしなかった(できなかった)。ガラケーであることもその原因の一つだったのだろう。
そのため、私にとって携帯電話は、メール、検索、写真、電話、ゲーム(プリインストールや無料のブラウザゲーム)をするものでしかなかった。
それなのに、大学入学と同時に突然、LINEやTwitterアカウントを持っていなければ円滑なコミュニケーションを築けない環境に放り出され、大変困った。
それでもなんとか友人になってくれた学科の女の子達がいた。そのほとんどがTwitterアカウントをもっていたので、自分もやらねばとアカウント作成をしたのだ。ガラケーだったけれど。
その後、学科、部活動、学生寮という人間関係に身を置くことによって、LINE、Twitterは必要不可欠となり、私はSNSと密接な関係をもつようになった。
スマートフォンも、すぐに父にねだり、arrowsを買ってもらった。(大学一年の私は自分がいかに甘やかされ、恵まれていたかを理解していなかった。今となっては恥ずかしいことだ。)
携帯電話をスマートフォンに変えたことにより、SNSのやりやすさが段違いになった。Twitterでは朝起きてから講義中、夜寝る前まで投稿できるし、LINEではグループに追加してもらえるようになった。
2.インターネット下手くそ人生
アカウント作成当時のTwitterは、以下のような文化があった。
・ 語尾には「なう」をつけ、事細かに自分の行動・現状を実況する。
・ あいさつをする。
「おはよう」「おはあり」「いってきます」「いってらっしゃい」「てらあり」「ただいま」「おかえり」「おかあり」「ほかってくる」「ほかてら」「てらあり」「ほかいま」「ほかえり」「ほかあり(?)」
・ グループLINEのように、リプライで会話する。(これは今も界隈によってはあるか。)
・ ←で自分ツッコミ、(自重)などのイタめな感情表現。
これらの文化は、実家を出て寮での一人暮らしを始めた(そして一人暮らし同士の友人作りに失敗した)孤独な私を癒すのに最適この上なかった。それにより、私はどんどんとTwitterにのめり込むようになった。
そして、現実世界で交友関係をうまく築けない人間がインターネットで人との距離感を掴める訳もなく、恥の多い「インターネット下手くそ人生」が幕を開けたのだった。
12年前から下手くそだったインターネット(SNS)は、上手になることなく私の人生に絡みつき、20代のほとんどを、それに助けられ、また、足を引っ張られることにより費やした。私の20代、10年間をインターネット(SNS)抜きで語る事はできない。
様々な失敗、トラブル、ケンカ、出会い、別れ、苦い思い出、恥ずかしい思い出。すべての経験にSNSが関わっている。(ほとんどが、しがむと後悔の味がする経験だ。)
そして、10年来のXアカウントを消した今でも、SNSは私にとって必要悪であり、一生やめることはできないだろう。
InstagramやLINEは今でも利用しているし、Xについても、10年来の日常用アカウントと約2年運用した趣味用アカウントは削除したが、一つだけ残しているアカウントはあるからだ。(残しているアカウントについては後述しようと思う。)
ただし、件のXアカウントを消したことにより、「インターネット下手くそ人生」が「インターネット適用適量人生」に変わった(と信じている)。
3.12年間の、Xでのできごと
それでは、Twitterアカウントが私の身に与えた経験には、実際どのようなものがあったのか。この項ではそれらについて記述していきたい。
その内容については、次回に続く。
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