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19歳の私のクリスマスは、閉鎖病棟の窓辺。 ひとり 、 讃美歌を そっと 口ずさむ

福島県に生まれ、福島県で生きて、  精神病院に 昭和の時代に、 入院した 運命が ある。 

あの 19歳の青年が、 両の腕と  胸とに  抱きかかえたままのーーー
ひとりの男が、力強く 固く、どう あっても 何があっても 離さなかったもの

  ー ー  それは  何だったのか?

それは、 後 に、  長く 長くつづく、未知の 見通しのきかぬ   幾つもの  「十二月の冬の日」、

将来の可能性を 秘めた、まだ純白の 「未来」、

「何千という昼夜」、

朝夕の 星々の美しい 「揺らぎ」。

そして、果てしない暗がりの「恐怖」だったか? 

まだ熱かった昭和。  日本というアジアの国家。
福島県の 精神科の 閉鎖病棟の 不動の「重たさ」は、、今なお、、私の 生き方の一部を つかんだまま、
いまだ、目指す 進路へむかう。の世界へ、遥か彼方へ 踏み出すの   日常の平凡を過ごす事を、許可せず、、逃がしては くれません。

ーーー あの  無言の  目を大きく 見開き、 張り詰めて、驚いた 数ヶ月の 体験  ーーー

もしも、現代の 令和の昼すぎの 都会に暮らす 若者であれば、、

それは、どうか?

当たり前の通院と、当たり前のカウンセリング、 、または 開放病棟での治療によって、、あるいは有効な場への通所を経て、、軽作業、スポーツ、音楽や絵画等の 充分な医療により、
明るさを 完結させることが ほとんどが可能な 「ものがたり」 なのでしょう。


あれは、
昭和の時代 
  わたしの家 日本という国の。

あれは、
田舎の病院でした。
  わたしの屋根 福島県の。

わたしの所属する 国となりました。
  福島県の 精神病院。


いま、、初老になり、最近になって、知った事は、
信じられない、
耳をふさぎたくなる、
最悪の法律 「優生保護法」の肌近い 信じがたい存在です。
日本国民の思考の【基盤の文化】になってしまった「法律」。
まだまだ 昭和のあの当時、生きていた「法律」。
夜の空を  速く、遅く、踊りながら 飛び跳ねていた 何千何万という  恐ろしい「法律」。
それは、この日本国の  正直な 顔と形なのだ!

「  優生保護法を制定した  戦争直後の時代は、その頃は、 他になす術も救う道も それ以外に 何も  存在しなかったのだ、。」と、私は  自らを抑えつける目的で、いつも 左胸の動き出す 心臓を見つめ、流れている 日本人の 血に 語りかけます。

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あの、私の閉鎖病棟の中で、、若い 入院患者は、   私と同じ ”大部屋”には もう一人の少年だけだった、、


ひとつの節目が訪れた頃、 ドクターから、私に 『別棟の  開放の病棟へ移る』提案が 出された、、


私は、

断った


彼が、、、

ーーーー   若い  彼ひとりだけが、 あの畳敷きの とても広い ”大部屋” に、、
どこまでも長い病棟の 冷たい廊下の 奥に、  若い年頃の人間が たった ひとりだけに なってしまう!

そんな 宇宙 は ありはしない



クリスマスが 近づいた 日に、、

   親に頼み、 使い慣れた 自分の「讃美歌集」を 差し入れてもらう。

「聖書」の方は、 ”差し入れ品”として、 認められなかった。

    私の記憶の中では、 看護婦さんが、 つらそうに 謝っていた。
   ( おそらく 現在の 制限は、 もっと柔軟だと思います)




12 月 の 

無 言 の 屋外の 夕日は

黒 く  暗く 立ちつくしていた

遠い 廊下の  最後の 壁に

強く 生々しく 染み込んでいた

昔から

ずらりと

やわらかく 

完璧に 

存在している


♪ ー   あくまの ひとやを うちくだきて  ー

♪ ー   主は きませり  ー

♪ ー   きませり  ー



昭和は、かなり 過去だ。

現在   いま、日本の、そして わたし達の国家の 田舎の 精神病院や その医療は、
今日の この日、 ど う なのだろう?


19の  彼の

長 い 廊下の

19の 唄 は クリスマス

..十字架..の始まりの 祝歌は、

止む事 なく

今も

いまも

問いかけます。

答えた、その返答しだいでは、

わたし達は 

本当に 真に 有害な 人間に、

害をなす、害を産みだす 生物に、

進化する



わたし達も、 日本の 民であり、 この国家の 国民です。

そして、 どこを探しても さらには、どうあがいても、

選択肢は それ以外に  無いのだから

ただ  道を 行く / ひとつだけの / わたし達だけの / 
国民の牙  壁で覆われた  目つぶし / 暗黒の手探り / 枯れた怒声 / 
われわれの / 
泥の道の       果て /



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□ ■

念の為に言っておきますが、、
その病院の看護スタッフは、それぞれ頑張っていたようです。
いつか、その 多くの懸命な奮闘の話も、笑える思い出も 書きたいですね。

あたたかい話をすれば、、

このような、、つらい話の中の、笑えるエピソード、まさしくアジアを占める 黄色人種の 肩寄せ合い ひしめき合いのような物語。
誰か 映画化しないものだろうか??

  大正・昭和の日本の庶民の伝統と風俗の泣き笑いが、ひとつの建物に 凝縮して揺らいでいるのだ。
ああいう思い出が、いつか歴史から消えてしまう。

あれは、「良い医療」ではないし、「良い福祉」でもないが、、
現在の この日本国と すべての国民の、 どこかに 必ず  つながっているのだ!
文化と風俗、習慣や思考は そう簡単には変わらず 残っている、と思う。


また、最後に、 少し キッチリすることも書いてみます。。

「一番 かわいそうだ」とも 言える!
日本人の多くは、 精神病の患者と その家族の 悲しみと苦労を 知っているが、、、
【回復と喜び】を 目の前や、近い距離で目撃できるチャンスを、自ら 視界の外へ、ーーー 安易な病院の中、檻のある場所??に放り込み、自ら ベールをかけて  封じているのだ!

この国の 不自然極まりない 最大の悲劇は、現在も まったく 終わっていない、と思う。

裁判所の法廷でも、被害者の側なのに、名前を名のれない 障害者たちが、宇宙に向けて叫び声を あげているのだ!

ーーー これほど酷い、封印 と 絶叫 の 天地の「亀裂」が、 他の どこに 有るだろうか?


ふ ぅ?、、は あ ぁ  ? 、

男女平等だと ?、
ジェンダーだって??、 
なんだ?、それは?

SDGs ?
二酸化炭素 ?

はらはら、 パ〜〜ラリンピック ??

ふざけんなョ

馬鹿野郎 !!



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