デザイナーとしてどう生きるか。
なんだかどこかの映画のようなタイトルになってしまいました。
こんにちは、NOT運営のひろきです。
皆さんがこの記事を読んでいる頃は、まだNOT(0期)が始まって間も無い頃ですね。
NOTのメンバーで「アドベントカレンダーやろうぜ!」となった時に僕が思ったのは「果たして僕が何か受講生の皆さんの役に立つ記事が書けるのだろうか。このチームメンツの中で」と言うことです🤔
NOTの代表やメンターさん達は、皆僕以上にデザインの仕事を積み重ねてきた人たちばかり。しかも1人1人が各専門分野のエキスパートです。その上、皆んなそれぞれプライドを持ってデザインに向き合っているし、スタイルを持っている。そう言うのが言わずともヒシヒシと伝わってくるようなイケてるメンバーです。
生き様が作品とか雰囲気に表れてる、そう言う系です。
いますよねたまにそう言う人。
そう言うデザイナーが1か所に集まっちゃったみたいな。
NOT DESIGN SCHOOL(以降NOT)ってそういう場所なんです。
映画で言うと「オーシャンズシリーズ」みたいな感じ?
この人たちは犯罪の方のエキスパートですけどね。
全シリーズ面白いのでぜひ見てください。
話を戻しますが、そんなわけで僕は役に立つ記事を書くのは諦めました。
代わりに、このNOTを立ち上げるに至ったストーリーを僕視点で書こうと思います。
どうして今の事業思想(後のNOT)ができたのか。
そもそもどうしてもちさんと一緒になったのか。
この話題なら僕でも書けるし、アドベントカレンダーの中でも差別化できるんじゃないかと。まぁ戦略的にトピックを選びました笑(他メンバーのNOT参加に至ったストーリーもいつか聞けたらいいな。)
さて、どこから話そうかと考えましたが、この話は僕がデザイナーになった頃に遡ることになりそうです。
僕はキャリアチェンジでデザイナーになった。
実はあまり知られてないみたいなのですが、一応僕もデザイナーの端くれです。Webデザインも作るし、事業を立ち上げたりもするし運営もするし、ディレクションもするし、マネジメントもする。
デザイナーなのか何なのか、自分でも分からなくなってきてますけど。
でも、どの仕事も好きです。ディレクションはそこまで好きではないけどね。
たまに驚かれますが、最初のキャリアは大阪のレストランのシェフ(見習い)だったんですよ。
しかも、就活して正式な手続きで入社したのではなく、会社系列の店舗の店長に直談判で入社しました。そこの店長に「この会社に入社したいんですけど、どうしたらいいですか。」と。
飲食業界ですし、どうせ人手不足だろうと。
半分賭けでしたが、戦略通り普通に入社できました。しかも履歴書も書いてないんじゃないかな。その会社で一番偉い有名シェフと面談して終わり。
それで見習いからスタートして、数年経って辞めました。
ほぼ休みなし、残業は当たり前、家に帰ったら夜の12時で翌朝は6時起き。そんな感じで飲食業界の闇みたいなものに触れたんですね。これずっと続けるのは違うなと、割とすぐに思いました。
シェフの仕事は「料理を作るのが好きで仕方がない」みたいな感覚がないと絶対に務まらないと思いました。僕は料理をするのは人並み以上には好きってくらい。飲食業界に入ったのは「自分の店を持ちたい」という目標があったからでした。
つまり「独立して仕事がしたい」っていう潜在的欲求が先にあったんですね。自己分析して気が付きました。
であれば、必ずしも飲食でなくてもいい。
そう思い立って、デザイナーを目指そうと思いました。
2016~17年くらいだったと思います。
見るのも好き、作るのも好きだったデザイン。
その時までは意識することもなかったですが、僕はデザイン的な何かを作る時、時間を忘れる事がよくありました。
高校や大学時代、自分のノートとか書類ファイルをオリジナルデザインに加工するとか。その頃乗ってた自転車をペイントするとか。もっと遡ると小学校の頃にベイブレードが流行ったんですけど、そのベイブレードもペイントしてましたね笑
祖父が鉄加工の会社を経営していて、こまに装着する部品を自分でデザインして、祖父に作ってもらうなんてこともしてました。これが人生で初めての外注案件です。
要は既存製品にオリジナルデザインを加えるのが好きでその作業にずっとハマってた人生だった。街中のデザインやプロダクト(雑貨とか)を見るのも好きだった。
Webデザインとの出会い。
そんなこんなで、大人になってシェフ見習いを辞めた頃、当時流行り出してたっぽい「Webデザイナー」という仕事を知ることになります。
最初はピンと来なかったのですが、なんとなく「Webデザイン」で検索をかけて作例を見た。
見た瞬間に「あ、これ俺もやりたい」ってなった。
すぐに本を買いました。
そしたらphotoshopっていうツールを使わないといけないらしいと。
(当時はfigmaの知名度はまだまだ低かった)
早速買って触ってみました。
激ムズでした。
でも、何となく形が出来上がっていくのが楽しかった。
気づいたら毎日やってた。
その頃から何かを作ってはポートフォリオに収めていました。
本格的にWebデザイナーを目指し出す。
1人で勝手にデザインを作る分には楽しかったのですが、いざWebデザイナーを目指すとなるとどうすればいいのか分かりませんでした。
当時は今ほど情報がなかったんですよね。
周りに聞ける人もいなかった。
けれど、タイミング良く当時立ち上げられたばかりのWeb系フリーランスのスクールに出会います。当時は「2ヶ月で月10万プレイヤー」というキャッチコピーを謳っていて、独立したい欲が強かった僕にはうってつけでした。
怪しいと思ったでしょ?笑
わかります。当時の僕は無知だったんです。
ですがそのスクールでの経験があったから、今の自分があると間違いなく感じています。(これについては割愛)
うだつの上がらない駆け出し時代が続く。
スクールで2ヶ月の学習期間を経て、制作会社やエンド系の会社にひたすら営業する日々が続きます。スクールがそういう方針でしたし、僕もそれを信じるしかなかった。
合計で400件以上は営業したと思います。
中には「少ない」と思う人もいるでしょうか?
でも僕は違う考えに至りました。
営業して商談して仕事につながる割合を計算すると大体受注する確率は「1~2%」でした。100件営業して仕事になるのが1~2件。
しかも1件当たりの単価は平均で5万もいかない。
仕事はね、別に取れるんですよ。ずっと営業してたらいつかは。
需要と条件がマッチするまで永遠に機械作業するだけなので。
だけどそれだと仕事を取るまでの苦労と収入が割に合わなさすぎる。
結局は確率論に頼った再現性のない戦略です。
異常ですよね。
ここから「もっと営業増やすしかないのか」と考えましたが、そんなやり方してても絶対に続かない。
すぐさま僕は「これ、なんか違くね?」と思い始めます。
そこから僕は戦略を変え「営業しなくても仕事が来る状態にする」を目標に行動を切り替えます。
そうなると戦い方も変わった。
「営業の打率を上げる」とか「営業の数を稼ぐ」みたいな体育会系の発想から「次に来た案件に全力投球し、リピート案件を狙う」と言う戦略に切り替えた。
仮説ではありましたが、これによって営業なしで仕事が来るサイクルが生まれるだろうと考えました。
半信半疑でトライしてみましたが、この戦略に切り替えると割とすぐに効果が現れました。来た仕事に全てを捧げました。全てを捧げるくらいなので1つ仕事がきた時点で営業もストップ。
その仕事だけに全力投球し、毎日ほぼ全ての時間をかけて、自分ができる最大限をアウトプットしました。
それを数回やっていると、ある仕事の納品後、違うクライアントさんを紹介してくれることがありました。
「デザイナーを探してる知り合いがいて、よかったら繋いでいいですか」と。
はい、作戦成功です。初めて紹介で仕事をもらいました。
そこからこの戦略がハマり、その時くらいを堺に僕は営業活動から解放され始めます。
学んだこと。
ここで、いくつかの学びを得ることになります。
【お客さんは技術(→信用)にお金(→リスク)を払っている。】
先方の立場になって考えてみれば、当然ですよね。
みなさんも相手の立場になって考えてみたら同じではないでしょうか?
「どんなデザイナーに仕事を頼みたい?」
と聞かれたら、ほとんどの人が似たような回答をすると思います。
ちゃんとしたクオリティのデザインが作れること。
ここはまず必須ですよね。
何百件も営業してた頃、僕はこの視点がすっぽり抜けていた。
「営業の数を稼ぐこと」
これは完全に僕の自己満足でした。
しかも脳死でできる作業なので楽だった。
簡単な方法に逃げていていたとも言えますね。
お客さんからすれば、フリーランスからの営業なんてのは日頃くる営業メールの1つでしかない。
しかも当時の僕は素人に毛が生えた程度のスキルしかない。
営業文もほぼテンプレ。
そんな僕に仕事がきても単価はたかが知れたもの。
めっちゃ当たり前ですよね。
そらいくら営業しても変わらんわと。
そして僕は実感します。
デザイナーに求められているのはまず「デザイン技術」と明確な「強み」
そして「ビジネスコミュニケーション能力」だと。
それがないから営業の量に頼ってしまうんだと。
経験を経て気づくことができた。
当時の僕からすれば、割と今世紀最大の気づきでした。
スタートアップにジョインした話。
ということで。
それからの僕はデザイナーとしての信用アセットをもっと増やそうと動き出します。
さっきの話で言うところの「明確な強み」を模索する時代の突入です。
とあるスタートアップにジョインしている知人から「Webディレクターを探している」と相談がきました。
そこで僕は自分自身をディレクターとして売り込むことになります。
当時から制作会社よりエンド系のお客さんと仕事をすることが多く、必然的にディレクションぽいこともやっていたため、まぁできるだろうと。
知人との元々の関係もあり、割とすんなりそのスタートアップにディレクター兼デザイナーとしてジョインすることになります。
そこからは日々、エンド系のお客さんとの仕事の日々です。
ディレクションもやるし、デザインもやるしで、大変だけど充実した日々が続きます。
そうしてる内に、ふと思い始めます。
「ビジネスっておもしろいな」と。
と言うのも、僕が担当していた取引先は全てエンド系のお客さんで、制作会社を介さない取引ばかりでした。なので、お客さんのビジネスに深く踏み込む形で仕事をすることが多かった。
いろんなお客さんのいろんな事業に触れ、ビジネス作りの醍醐味と、その中で自分が作った提案やデザインが「効く」瞬間に味を占め始めます。
今まではデザインを「作ること」が好きだった。
だけど、デザインを作った「その先」の方を意識し始めます。
そしてそもそもデザイン制作のニーズが生まれるまでの過程、つまり事業作りの過程の面白さを知ることになります。
デザイナー育成事業との出会い。
そして今度は、事業立ち上げ参加の話が舞い込んできます。
さっきのスタートアップ関連の人脈からの紹介です。
事業内容は「Webデザイナーの育成事業」で、当時構想だけがありこれから事業を作り込んでいくタイミングでした。
僕自身デザイナーですし、ビジネスの面白さにハマっていた時期なので二つ返事で立ち上げから参加することになります。いわゆるメンタリングの仕事もそこで初めて携わることになります。
事業としての目標は月20万プレイヤーのデザイナーを3ヶ月で育てること。そして僕は、この事業目標の難しさに直面することになります。
3ヶ月でデザイナーになることの難しさ。
最近、ますますデザイナー職への人気が高まっているように感じます。
それを裏付けるようにデザイナーを育てるスクールも台頭してきました。
そんなスクール事業の中で僕が痛感したこと。
それは「デザイナーになることの難しさ」です。
デザイナーという仕事。
多くの人は「デザインを作る人」を捉えていると思います。
そしてそれは間違いではないけど、半分は不正解。
デザイナーの仕事は「スキルと知識を通して社内と社外にポジティブな効果をもたらす事。その方法をデザイン的文脈で探り実現するのをリードすること。」だと思っています。
表現の仕方はともかく、デザイナーの仕事は何かを作るといった具体的な役割以外に、チームへのプレゼンやマネジメントといった抽象的な役割(影響力)も求められます。
要はイメージよりもずっと多岐な役割が求められるんですね。
デザイナーとして立ち回りつつも、時にはディレクションすることもあれば、チームにプレゼンすることもあれば、時には起業家のような立ち振る舞うこともある。
そのデザイナーが置かれている環境によっても変わりますが、要するにビジネス理解(ビジネススキル)が無いと出来ないことがしょっちゅう求められます。
制作スキルだけあってもダメで、その知見をビジネスの現場で効果的にアウトプットし事業に化学反応を起こすようなセンスが求められます。
これは何もNOTをやっているからそう言っているのではなくて、NOTをやる前から感じていたことです。なんなら実体験として自分も痛感してきた話。
だから、ちょっと勉強しただけでなれるものではないんですよ。
デザインスキルだけでなく、ビジネススキルが必要で、その両方は短期で身につけるには奥が深すぎるんです。
受講生の成功の再現性をもっと上げたい。上げないと。
でも、僕が目指したい水準にまでそれを引き上げるのは難しかった。
それができるほどの裁量権が僕にはなかったし、その事業にはその事業が維持したい基準や目指したいゴールがある。
それ自体はリスペクトしているし、間違ってないと思っています。
事実、多くの人に求められるポテンシャルのある事業だし、価値のある取り組みだと思っています。
僕が本当に目指したいデザイナーのレベルとは少し違うってだけ。
それをその事業に求めるのも違う。
だからもしそれを目指すなら、やっぱり自分で事業を立ち上げる方が早いしトライ出来ることも多い。
自分でスクールを立ち上げる。
ということで僕は、自分が目指す世界を作るために自分でスクールを立ち上げることにしました。
ちなみにこれはNOTの話ではありません。
実は僕、NOTの前にもう1つスクールを立ち上げたんです。
ULTRA DESIGN SCHOOLと言います。
キャリアコーチングに強い会社さんとタッグを組む形で「副業で稼ぐ手段としてのデザインではなく、1人のデザイナーとして信頼される人材を輩出する」をモットーに立ち上げたスクールです。(*今は開講していません。)
すごく簡単に言うと、デザインスキルだけでなくビジネスキルを鍛えるためのスクールです。僕と立ち上げメンバーのクリエイターとしての経験を詰め込んだスクールです。
1期生は合計10人ほど集まりました。
手前味噌ではありますが、今振り返ると初学者がデザイナーとして説得力のある提案書とデザインを制作できるレベルにまで育てることができと思っています。
説得力のある提案書が書けること。
これには、リサーチ力、論理的思考力、言語化能力など、多くのビジネススキルが含まれます。
逆にこれがないと提案書は書けません。
実在するクライアントを相手に、刺さる提案書とデザインを作れるようになること。そして目指すキャリア形成を達成すること。
この目標において、受講生はとても良い成長を見せたと思っています。
限界を感じたULTRA DESIGN SCHOOL
手応えを感じたULTRAですが、当時のリソースと市場の状況から、割と早い段階で事業を続ける上で限界を感じることになります。集まったメンバーは全員素敵な人ばかりですし、この事業に賛同してくれてた最高の人達です。そして事業の中でも感謝しきれないほどの仕事をしてくれた。
しかし、
「世の中にはまだまだ信用できるデザイナーが足りていない」
この課題を解決する上でULTRAの影響力は小さすぎたんですね。
応募人数の数からもターゲットのニーズ(ペイン)が弱いと感じましたし、市場規模の小ささを感じ取った。
立ち上げ当初なので影響力がないのは当然かも知れませんが。
もちろん、事業を伸ばす気でいました。
しかしそんな傍で、他のスクール(それも怪しい系)の過大広告や甘い謳い文句に集まっている圧倒的大多数の姿。
事業の中身より、キャッチーでトレンドな事業に人が集まる。
「フリーランス」というワードに惹かれ安易にデザイナーを目指す人も増えた。だけど結局、夢を叶えられずにデザイナーを諦める。
そんな実態を常に目の当たりにする日々。
言ってしまえば、そんな世の中の状況に萎えてしまったというのもあります。真面目にやっている事業より、ウケる事業の方に人が集まる。
ULTRAを求めている人って実はそんなにいないんじゃないかと。
良い事業より、キャッチーでウケる事業に人は集まる。
それは事実としてあるのかも知れません。
しかしその時、同時に違う考えが頭をよぎりました。
「ULTRA的な事業が求めらるのは今じゃないのでは」と。
そう感じたこともあって、以降募集は実施しませんでした。
もっと頑張るという手ももちろんあったと思います。
ですが僕は敢えて「撤退」を選んだ。
戦略的撤退といえば聞こえはいいですけどね。
ビジネスの面白さを知った後、ビジネスの難しさ、というか歯痒さを感じた瞬間です。これもビジネスの醍醐味です。
しかし僕はこの時も、いつかULTRAのような事業が世の中に必要になる時が必ず来ると信じていました。
それだけ社会的に意義のある事業だったと思っています。
暗黒時代に、もちさんと出会う。
そして僕は、一旦ULTRAから撤退し、元々ジョインしていたデザイナー育成事業に改めて集中することになります。
・教材の改善
・各教材のゴール設定の見直し
・メンタリングガイドラインの設計
・チームづくり
などなど、自分の役割としてできることは色々やる。
全ては事業の質を上げ、受講生の成功の再現性を少しでも上げるためです。
100人受講するなら100人とも成功して欲しいと思っていました。
けど現実は難しく、自信を持って見送れる人は圧倒的に少なかった。
もちろん、今でも活躍している卒業生もいます。
だけど、どんなスクールでも苦労している卒業生の方が圧倒的に多いと聞く。スクールを経てデザイナーとして食べていけてる人って全体の何%だと思いますか?
スクールを卒業して輝かしい結果を出している人、よく見かけますよね。
そういうのをよく見かけるのは、ネガティブな情報がほとんど伏せられているからです。
輝かしい結果を出す人は、体感でも全体の数%くらいじゃないかな。
よくて10%とか。つまり100人がスクールを受講したとしても、デザイナーとして食べていけてる人は多く見積もっても10人とか。
氷山の一角もいいとこです。
残りの90%の話は隠れて見えないだけ。
卒業後、今どこで何をしているのか分からない人も多い。
最初は調子が良くても長く続かず消えていく人も多い。
そういう人たちはどうなる?
「頑張れなかった結果だ」というのは簡単ですよね。
自分の役割を全うしても、受講生の結果に強いインパクトを引き起こせていないやるせなさ。
世の中にとって解決すべき課題(人材不足など)は間違いなくそこにある。
その解決策としてのデザイナー育成事業はひょっとして無理難題なのか。
正しいスクールの形って一体何だ。
優秀な人がたまたまきてくれて結果を出してくれるのを待つのでいいのか。
90%普通の人が結果を出せるように導かないといけないんじゃないのか。
いや、そもそもそんなこと誰も気にしてないのではないか。
自分が勝手に深刻になってるだけ?
何が正しいのか分からなくなったこともあった。
吐き出せる場所も相手もいない。
結局、そんなモヤモヤから解放されないまま仕事を続けます。
そしてそんな時、その事業に新しいメンターさんとしてもちさんを迎え入れることになります。
自分と同じモヤモヤを本気で語っている人。
その頃のもちさんは確か今ほどSNSで目立っていなかったと思う。
だけど、日々の投稿内容や雰囲気から強いデザイナー感が漂っている人でした。
その事業ではいちメンターさんとしてジョインしていましたが、figmaの講座を実施してくれたり、メンター陣の中でもいい感じに存在感を発揮していたり、枠にとらわれない貢献をしてくれていました。
面白いのが、お酒を飲んだ時のテンション。
普段からも割とそうだけど、酔うと熱くなっちゃうタイプで心の声をガンガン出しくる感じ。
ある時、その事業メンバーの飲みの席でもちさんが酔っていました。
そしたら、端っこの方で何やら1人で熱く語っていました。
「Webデザイン系スクールは今のままじゃだめなんじゃい。」
「私はもっとデザイナーが活躍する世界を作りたいんじゃ〜。」
確かそんなことを言っていました。(曖昧だけど)
周りの人は割と聞き流していた気がします笑(飲みの席だからかな)
だけどその頃の僕は、本当はずっとその話を誰かとしたかった。
語り合って「自分たちがどうあるべきか・ありたいか」「何をすべきか・したいか」を突き詰めたかった。
そしてより良い事業づくりに繋げるようなことがしたかった。
でもなかなか言い出せなくなっていました。
他のメンバーが同じモヤモヤや課題を感じているのか分からなかったし、
むしろ誰もそんな気にしてないとすら思っていました。
でも酔ったもちさんの本心を聞いて思いました。
「自分だけが感じているモヤモヤじゃない?」
「もしかして、同じ課題や危機感を感じている人は声に出していないだけでたくさんいるんじゃないか。」
その頃から、かつてULTRAの中で抱いていた夢に再び情熱が戻り始めます。
ULTRAから撤退してから1年くらい経ってのことです。
Web界隈で「駆け出し=危険」の風潮が立ち始める。
そして奇しくも、その頃からWeb系の駆け出しクリエイターへの批判がSNSやネット記事などで目立ち始めます。
それまでは、自分が知っている範囲だけで聞いていた批判話が、あらゆるところに見受けられるようになります。
駆け出しデザイナーのスキルが低い
駆け出しデザイナーがプロジェクトから飛んだ
最初から外注するつもりでキックバックを狙う人が増えた
ポートフォリオと実力にギャップがある人が増えた
ほぼテンプレでスパムのような営業が増えた
ポートフォリオがみんな一緒
ポートフォリオがスクールの課題しかない
コミュニケーションがしずらい
いざ発注してみたら期待以下の仕事しかしてくれない
あげればキリがないですが、このような声が確実に増えたのは、それだけオンラインスクールを経てデザイナーになった人が増えてきたことが原因だと思います。
つまり、デザイナーの総量に対してスキル不足・経験不足の人材が相対的に増えてしまった。そんな人材が営業ノウハウだけを身につけて仕事を取ろうとする。
そして、そういった業界側からの素直な苦労話、あるいは批判を頻繁に聞くようになって感じたのは、かつてのULTRA的な構想や思想を持った事業を再開するべきなのではないかということです。
勢いでもちさんに連絡した。
卒業後に苦労する大多数の駆け出しデザイナー。
そして、そんなWeb業界全体のモヤモヤとした空気をリアルに感じ、いても立ってもいられなくなった僕は勢いでもちさんに連絡しました。
【前にもちさんが話していた、もちさんがやりたいこと。僕もやりたいです。】
そうして僕は、かつての思いを再び抱きながら、もちさんの想いや情熱に乗っかる形で新しい事業づくりへのスタートを切りました。
もちさん本人も、あれは酔った勢いで言っていたのではなく本気で構想を練っていたのだと思います。
そして、後のNOTとなる事業の立ち上げ計画がスタートします。
駆け出しデザイナーにインタビューしまくる日々が始まる。
とにかくまずは事実(ファクト)を集めるべく、僕たちはスクールの駆け出しデザイナーにアポイントを取り続け、ひたすら「現状」を聞き続けます。
すると、上手くいかない駆け出しデザイナーの共通点がいくつか見えてきました。
様々ありますが、本質的には下記の要素が上手くいかない原因のようでした。
①単純にデザインスキルが不足している(本人が思っているより遥かに)
②ビジネススキルが不足している(本人が思っているより遥かに)
すごくシンプルでした。
営業のスキルとか数が足りないからとか、作品の数が少ないとか、そういう表面的な原因ではなかった。(要因の1つではあるけど、本質的ではない)
単純に、作品のクオリティが発注できるレベルに達していない。
そして仕事の中でクオリティとそれ以外で信頼を獲得できない。
要するにデザイナーとして信頼を得るための必須スキルがないから継続的に仕事が回ってこない。
営業とか作品数以前の問題でした。
実績がないから仕事が取れないわけじゃない。
デザイナーとしてのスキルがないからそもそも仕事が取れないんです。
発注者側の視点に立てば至極当たり前の原因ですよね。
技術とビジネススキルがあれば営業なんてほとんどしなくても仕事はくるし、実績も勝手に増えていきます。
改めて僕たちは、本当に解決すべき真の課題に焦点を当てていきます。
デザインスキルとビジネススキルを鍛えるための事業が生まれる。
こうして、今NOTで体現している「デザイン×ビジネス」の両輪を鍛える方針が生まれます。
今0期生の皆さんに提供している教材や体験は全てそこに向けて作られています。
【デザイナーとしての必須スキルを鍛えること。】
これは決して簡単ではないし、多くの時間と、多くの試行錯誤が必要です。
失敗と改善を繰り返しながら、長い目で見て成長につながるきっかけを積み上げていかないといけません。
だから僕たちはそこをサポートできるチームを作ることにしました。
今の業界全体のモヤモヤを僕たちと同じように課題と感じている人。
これからの人材育成に貢献したいと思っている人。
自分自身がデザイナーとしてプライドを持って仕事をしている人。
多種多様なバックグラウンドや得意分野を持っている人。
NOTはそんな人たちの集まりです。
そんなチームだから、自信を持って課題解決に取り組める。
そう思っています。
0期生の皆さんは、デザイナーとしてどう生きたいと思っていますか?
はい、ようやくここでタイトル回収です笑
ここまでは僕がデザイナーとして今までどう生きてきたか、そしてNOT立ち上げに至るまでの話を書いてみました。
そして、そんな僕から皆さんに聞いてみたいこと。
というより、この先の長い人生の中で共に向き合っていきたいこと。
それが【僕たちはデザイナーとしてどう生きていくのか。】というテーマです。
要するに下記のようなことを考えていきたいということです。
①どんなデザイナーになりたいのか
②デザイナーという仕事・職業の価値や役割をどう自分で定義していくのか
僕は自社他社に関わらず、ビジネスそのものに理解があり、ターゲットの課題やニーズに理解があり、その上で必要なコンテンツ(事業の中身)からデザインに至るまで一気通貫して対応できるデザイナーになりたいと思っています。
そしてデザイナーの役割は「スキルと知識を通して社内と社外にポジティブな効果をもたらす事。その方法をデザイン的文脈で探り実現するのをリードすること。」だと思っています。
キャッチーな言い方をすれば「事業から作れるデザイナー」かも知れません。
もしかしたら今後は方向性も解釈も変わるかも。
でももうしばらくはこの路線でやってみようと思っています。
正直この問いに正解はないし、それぞれの経験や価値観によっていくらでも変わっていくものだと思います。
そして、デザイナーであればこの悩みから解放されることはないと思っています。つまり、僕たちデザイナーにとって一生向き合わないといけない永遠のテーマです。
僕はデザインの仕事も好きだし、ビジネスも好きです。
だからデザイン業務もビジネス作りもやっていきたいと思っています。
そして、0期生の皆さんがこの先どんな道を選んでいくのか。
NOTを通してそれが今よりも明確になって、自信を持って自分らしいデザイナーの道を進んで行けるようになったら、この上なく嬉しいです。
最後に皆さんに伝えたいこと。
デザイナーとしてのスキルとか自信。
そういうのは日常の過ごし方や普段の仕事の中にある小さな選択の積み重ねが作り上げていくものだと思います。
どんな選択が今の自分にとってポジティブに感じるのか。
それが日頃の過ごし方や物事の捉え方や経験によって変わるんだと思います。
昨日の自分と今日の自分が常に同じ選択をするとは限らない。
むしろ同じ選択をし続けていたら、それは成長が止まっている証かも知れない。
成長すれば選択肢も選択の基準も変わっていくことがある。
そんな体験もNOT受講中にたくさんしてほしいと思っています。
そして、その過程でできるサポートをNOTでは提供していきます。
そして、同じテーマに真剣に向き合う仲間を増やしていきたいです。
デザイン業界に素敵なデザイナーを増やしていきたいです。
1年の間、上手くいく日もいかない日も共に乗り越えていきましょう!
これからよろしくお願いします!
最後まで読んで頂き、ありがとうございました💡
by ひろき
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