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【歌詞考察】難解な歌詞を読み解くと小説みたいなアルバムだった Galileo Galilei - 『くじらの骨』

「一番好きな曲は?」

こんな難しい質問はないだろう。
数多ある曲の中から一番を決めることなど僕には到底できない。

だが、好きなアルバムならどうだろう。

アルバム単位であれば、話が変わってくる。
もちろん好きな曲が多く入っているアルバムは好きなアルバムになるのだが、アルバム総体として見たときに明確に一番好きなアルバムが、僕にはある。

それは、Galileo Galileiの『Portal』というアルバムである。


収録曲が素晴らしいのはもちろんなのだが、構成も素晴らしいと思う。
全体的に文学的な匂いを感じる曲で統一感がある。
本人曰く、「架空の一つの街で起こった出来事を一つのアルバムで書いている」そうだ。
そして僕が特に好きで、このアルバムの核になっていると思うのが、『くじらの骨』『Imaginary Friends』『老人と海』の3曲だ。
『くじらの骨』はまた解釈が難しい曲であるが、鯨の骨を通して紡がれる少年と少女の物語を歌っており、『くじらの骨』を起点にして『Imaginary Friends』や『老人と海』にもストーリーの繋がりが感じられる。
そのことがアルバム全体の統一感やレトロな雰囲気にもつながっていると思う。


これからこの『Portal』収録曲の歌詞考察をしていきたいのだが、それにはストーリーの起点である『くじらの骨』の考察をしないことには始まらない。

そんな『くじらの骨』の歌詞を見てみよう。


真っ白い君を 手のひらで転がしてきた
ずいぶん前に私たちは この場所に来ていたんだ
灰色の砂が風にまかれていったけど
ずいぶん前にそれがどこに行くのか気付いていて

砂浜と線路 海の上を走るトレインは終着駅へ
やる気のない黄色い太陽が沈んでしまう
言葉を連ね寒さを煙に巻く毛布を作ってあげる
ノートのうえで眠っているような君に

これが1番の歌詞だ。
どうだ。めっちゃ難解だろう。

この1番の歌詞を読解するには、おそらく2番以降の歌詞も見ておく必要がある。ので、続きをどうぞ。

鯨の骨を探して集めてみたけれど
めんどくさくなって君に全部あげたんだ
できたよって君は元に戻してくれたけど
意地悪な風が鯨を吹き抜けた

冷めていってしまう それも今日で終わらせるんだ
車窓に揺れるランプが 私をまだ迷わせようとしてるの
嬉しかったし 楽しかったし 辛かったし 悔しかったし
それらを取り巻いてた寂しさに追われることももうないんでしょ

砂浜と線路 海の上を走るトレインは回送列車
押しつけがましい太陽がのぼってきた
鯨になればいいと手を引いた君にね 全部あげよう
そのかわり 白く小さくなって ここに戻れたら いいな

おそらくこれは少年と少女のやり取りだと思われる。
少年が少女に別れを告げ、思い出の品として鯨の骨を渡す、という内容の2番が時系列としては先で、
少し大人になったタイミングで少女がその砂浜に戻ってきて昔を思い出しているのが1番の歌詞
、という内容ではなかろうか。

その前提のもと、時系列に沿って一つずつ細かく読み解いていきたい。

2番Aメロ

鯨の骨を探して集めてみたけれど
めんどくさくなって君に全部あげたんだ
できたよって君は元に戻してくれたけど
意地悪な風が鯨を吹き抜けた

この歌詞の主観の"私"を少年とすると、少年は鯨の骨を少女にあげ、少女はその骨を組み合わせて鯨の形に戻したということだろうか。
「元に戻した」という表現から、おそらく少女は「生きてる鯨に戻したよ」と冗談を言ったのかもしれない。
だからこそ冗談にマジレスするかの如く骨の間を吹き抜ける風を、空気を読まない「意地悪」と表現しているのだろう。

ここでは少年と少女の仲睦まじい様子が描かれているが、二人は恋愛に近い関係にあったのではないかと思われる。
しかし、少年はこの後自分に待つ運命を知ってか、どこか冷めた雰囲気で現実主義的である。

2番Bメロ

冷めていってしまう それも今日で終わらせるんだ
車窓に揺れるランプが 私をまだ迷わせようとしてるの
嬉しかったし 楽しかったし 辛かったし 悔しかったし
それらを取り巻いてた寂しさに追われることももうないんでしょ

ここは少年が少女に別れを告げることを決心する場面だと思われる。
素直に読み解くと、「冷めていってしまう」という歌詞から、恋愛関係にあった二人の関係が冷めてきてしまったことが原因と考えられる。
これはAメロの「めんどくさくなって」や現実主義的な様子からも匂いを嗅ぎ取ることができる。

だが僕はどうもこれは、どうしようもない都合で引っ越すことになり、無理矢理引き離される二人という状況に思えてならない。

引っ越すことになったという告白を少年はどのタイミングでしようか、いっそ何も言わないまま去った方がいいのだろうか。
会いに行く列車の車窓に揺れるランプを眺めながら、そんなことを考えている。
そして葛藤の果てに、言ってしまえば「寂しさに追われることももうないんでしょ」という考えに至り、告白を決意する。

「辛かったし 悔しかったし」というのは、自分ではどうしようもない都合で引き離される状況に対してだろう。

この引っ越す理由だが、僕は「少年が戦争に駆り出された」ことだと考えている。

2番サビ

砂浜と線路 海の上を走るトレインは回送列車
押しつけがましい太陽がのぼってきた
鯨になればいいと手を引いた君にね 全部あげよう
そのかわり 白く小さくなって ここに戻れたら いいな

そしてラストのサビは、別れ(戦争に行くこと)を切り出した後の描写だと思われる。

砂浜と線路、海の上を走るトレインと情景描写が続く。
回送列車が海の上の線路を走っている。おそらくは少年の乗ってきた列車だろう。
夜やってきた少年は少女と夜明けまで語り明かし、本当はもっと一緒にいたいのに、太陽が昇ってきたことによって別れを告げないといけない時間だと悟る。

遠くの街にいってしまう少年に少女は「会いたくなったら鯨になって泳いでくればいい」と言葉を投げかける。
それに対し少年は、二人の思い出である鯨の骨を渡し、「いつかこの鯨の骨のように白く小さくなったら(=死んで骨になったら)ここに戻りたい」と思いを馳せる。


半ば僕の妄想も入っているが、そんな歌詞だと僕は受け取った。

そのうえで、時系列としてはこの幾分か後になるであろう、1番の歌詞をもう一度見てみよう。

真っ白い君を 手のひらで転がしてきた
ずいぶん前に私たちは この場所に来ていたんだ
灰色の砂が風にまかれていったけど
ずいぶん前にそれがどこに行くのか気付いていて

砂浜と線路 海の上を走るトレインは終着駅へ
やる気のない黄色い太陽が沈んでしまう
言葉を連ね寒さを煙に巻く毛布を作ってあげる
ノートのうえで眠っているような君に

ここでは2番までと「私」と「君」で表す人物が入れ替わっている。
つまり1番での「私」は少女だ。

歌詞考察の冒頭で僕はこの歌詞を「少し大人になったタイミングで少女がその砂浜に戻ってきて昔を思い出している」と言った。
ここまでの考察を踏まえると意味合いが少し変わってくるだろう。

1番Aメロ

Aメロ冒頭の「真っ白い君」とは、少年の遺骨ではないだろうか。

おそらく少年の遺言で、死後はこの砂浜で骨をまいてほしいとでも書かれていたのだろう。
戦争で亡くなってしまった少年の遺骨を持って思い出の砂浜にいる少女は、少年との思い出に浸っている。

「風にまかれた灰色の砂」は少年の遺骨かもしれない。
骨を撒きながら少女は、少年が戦争から帰ってこれないだろうということは別れの日に内心覚悟していた、そのため思いのほか悲しみに暮れていない自分に気付く。

1番サビ

砂浜と線路 海の上を走るトレインは終着駅へ

ここは2番サビとの対比で、2番サビでは回送列車だったが1番サビでは終着駅へ向かう列車なので、まだ通常運行されている時間であることが窺える。

やる気のない黄色い太陽が沈んでしまう

太陽が沈むことで、夕方であることが分かり、「やる気のない」の形容詞で今季節が冬であることが分かる。

冬場で早くなった日の入りのせいでもう夜が始まってしまう。
夜といえば、別れの日に語り合った思い出の時間でもある。

言葉を連ね寒さを煙に巻く毛布を作ってあげる
ノートのうえで眠っているような君に

少年はもうこの世にはいない。
しかし、少女の心の中には生きているのだ。

少女はそれを文字にして、ノートに綴っていた。
少女の中にしかいない、架空の少年。
そんな架空の少年が寒くならないように、少女は温まるような描写を書き込んであげている。

そんな少し物悲しいストーリーがこの『くじらの骨』という歌なのではないだろうか。


『くじらの骨』を起点に始まる物語

ちなみに、この解釈を裏付ける根拠が他にもある。
『くじらの骨』はアルバム『Portal』の最後の収録曲なのだが、リピート視聴していると次の曲は1曲目の『Imaginary Friends』になる。

『Imaginary Friends』は、少女と想像上の友達との日々の歌なのだが、まるで『くじらの骨』の続きのようには感じないだろうか。
ここでのイマジナリーフレンドとは、もういない少年の物語を書き続けていた少女が生み出した少年の幻影だったという解釈だ。
この曲では結局イマジナリーフレンド側から少女に別れを告げて、この曲は終わる。


そして、『Imaginary Friends』の次の曲は『老人と海』である。
この曲の歌詞は物語になっている。
あらすじを説明すると、喧嘩をしている両親を仲直りさせるために、少年が犬のジョンとともにI love youを探す旅に出る。そして線路のある海の付近で老人からI love youを授かる。それを持って家に帰ると少年の行方を心配した両親は泣き暮れており、喧嘩はすっかりおさまっていたという話だ。

この曲だけで考察記事を書きたいほど本当に大好きな曲なのでぜひ歌詞を読んでもらいたいのだが、結局少年の見つけてきたI love youは白くて小さな何かの欠片だった。
それを見て母親が「あらこれって鯨の骨じゃない?懐かしいな砂浜と線路…」と言って曲が終わる。

おそらくこの母親は『くじらの骨』での少女ではないだろうか。
『Imaginary Friends』で少年の幻影と別れて現実を受け入れた少女は大人になり、『老人と海』では別の男性との間に子を授かっている。
そんな時系列ではなかろうか。
(この老人が何者かという議論はまた別である)


さらに言うと、『老人と海』の次は『kite』なのだが、これも海辺の町を舞台にした歌で、歌詞を見てみるとどうも少年を失い、イマジナリーフレンドも無くした少女(この時にはもう大人)が、次は絵の世界に現実逃避をし、ある男性がその少女に恋をして現実に引き戻そうとする、そんな物語のようにも解釈できる。
時系列は少し遡り、『Imaginary Friends』と『老人と海』の間あたりだろうか。
ここでの少女と男性が結婚して、『老人と海』の主人公の少年を産むという流れだ。


この「Portal」というアルバムは、前述の通り「架空の一つの街で起こった出来事を一つのアルバムで書いている」とGalileo Galilei本人が語っている。
『くじらの骨』から始まる4曲はまさに一人の少女を軸に描かれた物語ではなかろうか。
ともするとこのアルバムの本当の1曲目は『くじらの骨』なのかもしれない。

半分くらい僕の妄想だが、こんな物語なら面白いな。素敵だな。という考察ができた。

ストーリー性のある曲というのはBUMP OF CHICKENを筆頭に多く存在すると思うが、数曲に渡りストーリーが繋がっているアルバムというのは僕の拙い音楽遍歴ではこれしか出会っていない。

こんな味わい深いアルバムなのに全然世の中に考察が出回っていないのが不思議だ。

みんな、名盤『Portal』を聴いてみて!

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