夏の風物詩、タンクトップと短パンの老人

商店街へ買い物へ出たら、白タンクトップと短パンの老人がほっつき歩いていた。少し気が早いが、これぞ夏の風物詩である。

この時期になると、街に一人か二人は必ずこの服装をしたジジイがいる。人によってはだるだるに伸びきった、乳首が見えてもおかしくないような際どい一枚を着ていることもある。短パンも明らかに短すぎで、トランクスと区別がつかない。

高齢者は体温調節機能が低下するため、体内の熱を放出できず暑さを感じやすいという。一見、かなりギリギリの服装のように思えるが、彼らにとってはこれが最も機能的で、快適なのだろう。そう考えると納得できるような気がする。

本当にそうか?これ、港区でも同じか?生きていて全く足を踏み入れない場所なので想像だが、高級住宅街に白タンクトップと短パンの老人なんて一人もおらず、全員質のいい薄手のポロシャツとかを着ているんじゃなかろうか。

そもそも、タンクトップを着て外に出るのがありか、無しかで考えると、俺の中では圧倒的に無しである。

中学生の頃、母親が「アンタ夏だからこれ買ってきたわよ~」みたいなことを言いながら、俺に英字のプリントされたタンクトップを渡してきたことがあった。ジーンズメイトか、イトーヨーカドーに入ってる謎のテナントかわからんが、多分安く売っていたのだろう。

思春期真っ只中の俺にとってそれは、中学生にとって最もオシャレに重要な「英字プリント」が施されているとはいえ、明らかに際どすぎる服装だった。だが、全く着ないでいると「全然使ってないじゃないの!?」とうるさく指摘される可能性があるため、やむを得ず何度かは着用して外へ出た。しかし当然恥ずかしさが勝り、毎回短時間で家へ帰っていたのだった。

そういう記憶が未だに残っているからか、いや多分それは関係なくて、大半の人間が同じだとは思うのだが、俺はタンクトップで街へ出ることへ抵抗感がある。高齢になってもその自意識を持ち続けてさえいられれば、きっと俺もポロシャツを着る側のジジイになれているはずだ。

だが、そもそも「今日はこのお気に入りの一枚で外へ出るのじゃ」と思いながら白タンクトップを選んで外へ出るジジイなんていないはずである。彼らにとって重要なのはその機能性であり、人の目ではない。恐らく、この時期は日頃からあの姿で家の中を過ごしているのだろう。俺たちがジャージやスウェットを着たままコンビニへ行くように、彼らもまた、タンクトップと短パンで街へ出ているだけなのだ。それで外に出ても比較的許される側の街に住んでいるかどうかで、タンクトップ老人の出現率は変わるのだと思う。

その前提で、自分を顧みる。俺は夏になるといつも家では適当なTシャツを着て、ユニクロで買ったエアリズムの薄いズボンを穿いている。これが最も楽な服装だからだ。近所にちょっとした買い物へ行く時はわざわざ余所行きの服に着替えたりせず、同じ格好でそのまま外へ出る。今日だってそうだった。

そう考えると、あのタンクトップ一枚のジジイと俺、何も変わりはないような気がしてきた。俺もあの年齢まで生き残って、体温調節機能が落ちてしまったら、きっと同じ格好で家の中を過ごすだろうし、そのまま外へ出ると思う。絶対にわざわざポロシャツには着替えない自信がある。そして、老後に高級住宅街へ居を構えている未来も全く見えず、今と変わらず「許される側」の街に住んでいるだろう。

あれは、俺自身だったのだ。

もし将来そうなったら、俺を見て眉をひそめる若者の肩を静かに叩き、そのタンクトップの隙間から乳首を覗かせながら、「ワシは、未来のお前じゃ」と言ってやりたいと思う。

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