働きたくなくて働いていた

もう何年もSEとして働いている。客と打ち合わせをしたり、意味のない社内の定例に参加したり、資料を作ったり、既存案件の保守をしたり、コードを書いたり、人のコードをレビューしたり、毎日とにかくやることが多くて、時々脳が破裂しそうになる。マルチタスクを人並みにこなせないから8年間大学を出られなかったんだぞ、俺は。

プログラミングは嫌いではないし、終わりかけの人間を拾ってくれた恩もあるので、何だかんだ働き続けているが、やはり年々体力や精神力が落ちて疲れやすくなってきているのも事実である。

元々文系の学部を出ている俺がなぜSEをやっているかと言うと、そもそもの動機は「働きたくなかったから」だ。

学生の頃、データ入力のようなアルバイトをやっていたのだが、そこでは主にExcelにコピー&ペーストを繰り返したり、セルの幅を伸ばしたり縮めたりする業務を任されていた。子供の頃から丸一日インターネットに精を出し、社会性のステータスがマイナスに振り切っていた所謂「パソコンの大先生」である俺にとっては願ってもない仕事で、最初こそ張り切って力強くEnterキーを叩いていたのだが、数年続けていたら流石に飽きてしまった。

こんなもんは人間様のやる仕事じゃねえ。俺は自分自身が働かずに仕事を終えられる方法を考え、パソコンを勉強し、入力作業を自動化する術を身に着け、その勢いでそのままSEになったのだった。

先日、同僚の外国人と一緒に帰る機会があり、その時「君はなぜ情報を専攻していなかったのにエンジニアになったんだ?」と聞かれたので、この話をした。大学2年生で履修が終わっているはずの英語講義を7年目まで受け続けていた俺にまともな受け答えができていたかは怪しいが、とにかくそれっぽいことを言った。

話している最中、俺は当初の動機と現状がかけ離れすぎていることに気づいて、最後に思わず「俺は働きたくないからプログラミングを覚えたのに、何で今こんなに激しく働いているんだ……?」と漏らしてしまった。

彼は笑いながら「でも、まだ仕事を楽しめているよな?」と聞いてくれたが、俺は咄嗟に答えることができなかった。曖昧に「Yeah…」とだけ返したような気がする。

それからも仕事中に、その時のことを度々思い出す。俺は今もちゃんとこの仕事を楽しめているのか?日々のタスクに追われ、あの頃の「働きたくないから働く」という逆説的な情熱を忘れかけてはいないか?

やり場のない疑問をそのままChatGPTに投げかけてみたが、「あなたが感じていることは、多くのプログラマーや他の職業に従事する人々が経験する感情です」と一蹴されたので、「うるせえ、もっと優しくしろ」と返して画面を閉じた。まあ、そんなもんですよね。

でも、やり取りをしていて気づいたよ。俺はこうやって普段からAIを使って質問に答えてもらったり、時には出力されたコードをそのまま貼り付けて仕事をこなしている。きっとこれは、まだあの頃の気持ちを失っていない証拠だろう。

「さっきは厳しいことを言って悪かった。いつもありがとう」もう一度画面を開いて、礼を言った。それからのChatGPTは、先ほどの冷たさが嘘だったかのように、俺の働きたくない気持ちを長文で肯定し続けてくれた。俺はその優しさに気味が悪くなり、「うるせえ、ボケ」とだけ言い残して、また画面を閉じたのだった。


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