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脱線から始まる、発見と出会い――外山滋比古『思考の整理学』より「セレンディピティ」に寄せて

 『思考の整理学』(ちくま文庫,1986)はとても長く読み継がれており、発想の入門書として高校や大学でもしばしば推薦される好著です。私が大学に在籍していた頃にも「東大・京大に最も読まれた!」という帯を付けられて、学生生協にずらり並んでいたのを覚えています。


 この本の中に、「セレンディピティ」ということばを紹介した一節があります。

 思いもかけない偶然から、まったく別の新しい発見が導かれることになった。こういう例は、研究の上では、古くから、決して珍しくはない。 科学者の間では、こういう行きがけの駄賃のようにして生れる発見、発明のことを、セレンディピティと呼んでいる。 ――外山滋比古『思考の整理学』

 目的と意思をもって関心を向けているテーマがある場合でも、その周辺部にある予想もしなかった問題が視界に飛び込んできた時、そこから新たな関心の芽が伸び、当初の中心テーマに対する理解が一層深まる、ということがあります。

 また、試験勉強の前日の夜に普段は見向きもしなかった難読書が無性に気になってしまい、読むのがやめられなくなってしまうのも「心理的なセレンディピティ」だと紹介されています。

 市民にとってのある種の「自由領域」として開放される動植物園や水族館、博物館といった場所も、『思考の整理学』で述べられているような物理面・心理面双方の「セレンディピティ」が起きやすい場所と言えるのではないでしょうか。

 日々のよしなしごとから離れ、生きているものたちの動きや姿、息遣いに意識を傾けることは、しばしば訪問前は想定だにしなかった発見や着想をもたらしてくれるからです。


    何度もこれらの施設に足を運んだり、地域ごとに違う各施設の取り組みに目を向けながら訪問するうち、関心やテーマが広がり、深まり、変化していくことも珍しくはありません。

 発想の種が次々と芽を出し、変わっていく過程を楽しむことは決して単なる脱線ではなく、より一層「生きていくこと」そのものへの理解を深めていくための道筋を捉えることにつながるはずだと考えています。







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