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【書評】ヴァルター・ベンヤミン『ベルリンの幼年時代』より「川獺」

デジャ・ヴュ〔以前に見たことがあるという錯覚〕の記述は、しばしば行われてきた。いったい、この名称そのものは成功しているのであろうか?むしろ、流れ去った人生の暗闇のなかでいつの時か鳴りはじめたらしい音響が、こだまを呼び起こし、そのこだまにいまわたしたちが驚かされている、とでもいった出来事をさしているはずではないか。――ベンヤミン『ベルリンの幼年時代』より「ある訃報」

 先日投稿したnoteで、わたしは私の幼い頃の動物園体験を追憶しつつ、動物園がヒトと自然環境の「未来」につながる「サイエンス」の場であるとともに、来園者ひとりひとりの個人的な「記憶」の集積である自己物語――「ナラティブ」の舞台であることを提起しました。

 動物園と幼年時代の記憶――社会の荒波にさらされず、平和で、守られていて、しあわせな時代――との親和性については、近代や都市、芸術について思索を重ね、鋭い論考をいくつも残したドイツの文学者、ヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)も、自伝的作品『ベルリンの幼年時代』の中で印象深く言及しています。

 この回顧録に留まらず、近代の産物である「動物園」の現代的な意義について考える時、ベンヤミンが提唱した「アウラ」の概念や「パサージュ」についての考察が与える示唆は極めて大きいと個人的には感じていますが、それらについての言及はまたどこか別の機会にて。


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 ベンヤミンが幼年時代を過ごした帝政時代末期のドイツ・ベルリン。その中心にあったベルリン動物園の動物たちにベンヤミンは魅了されていたようです。とりわけ幼い彼の関心を引いたのは、「動物園が例の展覧会場とか喫茶店とかに隣接する」区域に暮らすカワウソでした。

 雨がその細かいあるいは粗い櫛の歯で、ゆっくりと、かれの時間を梳き分けてやるときほど、日がな一日というものがわたしにはのどかで、日ながであったことはなかったからだ。小娘のようにすなおに、かれはこの灰色に降る櫛の下に頭を差し出していた。そんなとき、わたしは飽かずかれを眺めた。――ベンヤミン『ベルリンの幼年時代』より「川獺」

 のどかで、ゆるやかで、他に侵されない日ながな時間の記憶。ワイマール体制、そしてナチス・ドイツの台頭という時代の激動の中で、ベンヤミンが追憶する幸福な思い出の中心には、雨に躍るカワウソの姿がありました。

 並木道は、街灯の白い火屋の球が連なっていて、パール・ピュルモントかアイルゼンの人気のない遊歩道にでも似たおもむきがあった。しかも、これらの保養地がすっかり寂れてローマの浴場跡に劣らず古めかしくなってしまうずっと以前から、この動物園の一郭は来たらんとする未来の相貌を浮かべていたのだ。それは予言的な一隅であった。(中略)……それはたいてい打ち捨てられたような場所であり、また、壁に逆らって立つ木の梢であり、人ひとりおよそ立ち止まることのない袋小路や前庭でもある。――ベンヤミン『ベルリンの幼年時代』より「川獺」

 回顧の中でベンヤミンは、カワウソに最も近い動物園の園路に「打ち捨てられたような場所」というデジャ・ヴュの原風景があったことにも思い当たっていたようです。同じような直感は、むかし訪れたことのある思い出の場所を時が経ってから再訪問するとき、現代に生きる私たちの胸中にも去来するものではないでしょうか。


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 私は動物園や水族館を足しげく訪問するようになってから、昔訪れた動物園や水族館の写真が残っていないか、古いアルバムを探したことがありました。

⇒いきものAZ投稿記事「あの日、あの時、あの頃の動物たち。

 幼い頃の写真を見つけ、現在も動物園で元気に暮らしている生きものたちが写っていることを確認した時の、過去と現在が結びついて協奏するような新鮮な驚きは、ベンヤミンが追憶の中で感じた「デジャ・ヴュ」と通底するものだったのかも知れません。

 これからも動物園という場が続いていく限りきっと、私が今まで出会ってきた動物たちとの記憶は「想い出」となって、折々でこだまし、響き合い、新しい「追体験」を呼び起こしてくれることでしょう。


※本稿の引用部分はすべて晶文社刊行の『ヴァルター・ベンヤミン著作集12 ベルリンの幼年時代』(訳・編集・解説:小寺昭次郎,1971年)に依拠していることを申し添えます。