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【書評】筒井嘉隆『町人学者の博物誌』

この父にして、この子あり。縦横無尽、破天荒な活動の陰に緻密な洞察が光る、自然と人間を見つめる名エッセイ。


筒井康隆さん、の名を聞いて、SF小説の世界はもちろん、戦後の日本文学を代表する作家のひとりとして、疑う人は少ないのではないかと思います。『パプリカ』に『富豪刑事』、近年映像化された作品も記憶に残るものばかりです。

ところで、この筒井康隆さんの父親が、大阪で長く親しまれている天王寺動物園の園長であったことはご存知でしょうか。

筒井嘉隆さん。昭和7年(1932年)より天王寺動物園で勤務し、1945〜46年に園長。戦後は大阪市立自然科学博物館(現:大阪市立自然史博物館)の設立に尽力、初代館長に就任しています。

その嘉隆さんが晩年に、それまで執筆してきた文章のエッセンスをまとめあげて出版した集大成といえる一冊が、『町人学者の博物誌』です。
見どころが多岐にわたるエッセイ・対談集なのですが、本稿ではいくつかかいつまんでご紹介します。

何でも食べる。何でも味わう。

まずこの書籍の中で印象的なのは、「正食記──現代人の偏食をただす試み」と題された章です。ぱらぱらとページをめくると、マツケムシにカエル、果てはペンギンまで食べたという記述が目に飛び込んできます。恍惚の表情でナメクジを飲み込んでいる写真も衝撃的。しかしそれは単なるパフォーマンスではなく、戦争で日々食べるものに事欠いた経験に裏打ちされた実践だったのです。「昆虫食」が注目される現代に読むと、また新たな発見があります。

リタ嬢のこと。

嘉隆さんが勤務していた頃、天王寺動物園で一番の人気者だったのがチンパンジーの「リタ」でした。この書籍には、「リタ」と仲間のチンパンジーたちが日本にやってきてから過ごした日々のこと、そしてその死に至るまで、非常に緻密に記されたエッセイが収録されています。
「リタ」は相方の「ロイド」とともに、今も天王寺動物園にその姿を留めています。

SF一家。

小説ファンの視点からも楽しめるのは「家族たち」と題された章でしょう。康隆さんをはじめ筒井家の子供たちが社会人になってからも創作に熱中し、一家同人誌を作ろうとするシーンを父親の立場から活写したエッセイには思わず笑みがこぼれます。子供たちの同人製作に白い目をまったく向けず、何と校正を手伝い、資金援助までしていた嘉隆さん。子供の「好き」を応援する桁外れの度量、センス・オブ・ワンダーが、この家族の風景から広がっています。

市井のエコロジーへ

嘉隆さんは、大阪市に野鳥保護のための場を設立するよう働きかけ、大阪南港野鳥園の開設も実現しました。そこには多くのアマチュアの同志の尽力があったことを、嘉隆さんは当時を追想した文章に残しています。
同人誌に熱中するアマチュア作家だった康隆さんを暖かく見守り、「SF御三家」の一角と目されるまでの道筋を支えた嘉隆さん。本業である自然科学の分野でも、市井に生き、専門家ではない立場から万物の不思議に熱心に関心を向ける「町人学者」たちを育て、その貢献を誰よりも高く評価していたことが感じ取れます。

大阪人ならではの軽妙な語り口と、目の前に広がる自然を探索するセンスを感じてみたい方に、ぜひご一読をお勧めします。

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