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えんぴつを折ったことありますか

私は小学生のころ、えんぴつを折ったことがあります。筆を折るみたいなことではなく、物体としてのえんぴつです。筆圧が強すぎてとか、ひびが入ってる不良品でとかではなく。「折りたい」と思って、両端に手をかけ、バキっとやりました。
前後のことは覚えていません。折れたギザギザささくれている二本のえんぴつの映像は浮かびます。しいて言えば、なにやら破壊衝動的なものがあって、えいっとやったような感じがあります。その後はたぶん、折れた部分を削って短くなったえんぴつとして使ったのではないでしょうか。いやいや、「折った部分」ですね。
中学校の理科教師に言われたこと。実験用のガラス器具が「割れました」と報告すると、「自分たちが割ったのであれば、”割りました”と報告するように」、この言葉はよく覚えている。この場合、なにもしなくて、触ってもいない、ただ試験管立てに乾かしている試験管が割れた場合は「割れた」と言っていいんだろうな。勝手に割れたら怖いけど。
話は戻って、小学生の私は折ろうと思って折ったのだから「折れたえんぴつ」ではなくて、確実に「折ったえんぴつ」だ。二本になったえんぴつを両方使ったかどうかは、これまたおぼえていない。ただ、折ったことで得られた一種の爽快感のようなものは確かにあった。

このことを思い出したのは、以下のイベントのワーク中だった。

紙を選んで中綴じ冊子を作る過程で、紙自体と戯れているのがとても楽しくて何かを貼り足すことや書き込むことはせず、ぎざぎざに折ってみていた。その中で、一度ついた折線が戻せないことで慎重になっている自分に気付いた。窮屈さを感じた私は、あるページをくしゃくしゃにぐしゃぐしゃにした。既にホチキスで綴じていたので丸めることはできなかったが、勢いとしては「グシャっ、グシャグシャグシャ」という感じ。これがとても気持ちよく、この時、自分の破壊衝動と折ったえんぴつを思い出したのだ。

もとには戻せない、折り目、グシャグシャのしわ。でもそれは紙のテクスチャを変え、立体的にする。特に、狙って作ったわけではないランダムのしわを撫でているとすごく愛おしくなった。

私の物語

リール動画の方はちょっと長いですけど、かわいがっている様子がよくわかると思います。立体で見たい方はまあ、しゃべりはオフでいいので、眺めてみてください。

ワークの時間は没頭して自分の感覚と向き合っていましたが、シェアの時間はまた違う面白さがありました。本当にひとりひとり違う物語があって、聴くことも楽しかった。

ケアとアート、表現と鑑賞、物語ることと聴くこと。参加できてよかった。

なにも悪いことしてなかったのに、急に折られてしまったえんぴつさんへ。ごめんなさい。でも私はそれをこうやって覚えているよ。

もし、サポートいただいたら、また、ひとに会いにでかけます。