学ぶという迷い
突発的に何かを学びたくなることがある。
歴史だったり、古文だったり、
つい先日はカウンセリングに興味を持っていた。
そんな学びたい意欲だけが強くて、
しかし統一性がなく
結果にも結びつけられていない私が、
今学びたいなと思っているのは
ボールペン字講座だ。
思えばかなり若い頃から興味はあったが、
習ってどうするの?という
今となっては意味不明な妨害に遭い
受講には至っていない。
小学校一年生の時、
担任の先生に
——上手な字ね
と褒められた。
実はそこが自然体で書いた字の
頂点だったと思われる。
それ以降うまいと言われたことはない。
幼かった私は
自分の字が上手いと信じて
しかしそれ以上努力せずに過ごしていた。
結果、小学校高学年の時の友人に
——数字は上手いけど他は上手くない
というなんとも残念な評価をされてしまう。
もうそれからは自分は字が汚いものと
インプットされてしまって
書くのも雑、
どうせ下手だしと諦めてしまった。
子どもを産んですぐの頃に
なんとなく気が向いて
独学で習字にはまったことがある。
習字と言っても筆ペンで1行日記を書く程度だ。
それでもささやかながら筆遣いというものに触れ、
ペンで書く時にも丁寧に書くという意識が生まれた。
そこで多少はマシになったものの、
それ以上には上達は見込めずに今に至っている。
そんな最中
子どもが学校へ行くようになると
そうも言っていられなくなってしまった。
プリントの記入、
連絡帳への記入、
どうしてこんなに手書きをする機会が増えるのか。
そして致命的なのは
個人差はあるものの、
先生の字が綺麗なこと…。
子どもたちは毎日その文字に触れて生活している。
たまに私の文字を見た際に
一体何を感じているのか非常に気弱になってしまう。
——文字なんて個性よ!
——読めればいいのよ!
確かにそうなんだけど、
読める程度には書けていると思うけど、
個性と認めてもらえるまでには程遠いと感じている。
そもそも基本があってからの応用であって、
大本の部分がぐらついているのに
なぜ上っ面だけを見て個性と叫ぶのか。
そんなことを考えていたら
自分の字が恥ずかしくなってきてしまった。
これはもうレッスンを受けるしかない!
そう思ってネットで講座を調べるものの、
——一日20で上達!
という決まり文句にちょっと尻込みしている自分もいる。
私は一体なにがしたいのだろうか。
他の講座と同じように
ただ騒ぎたいだけなのか。
数日すれば何事もなかったかのように
冷めてしまうのかもしれない。
勢いって大切だし、
しかし勢いだけでは生きていけない。
この境界線がまだ読み取れないがために
自分が身動き取れない状態だ。
でも本当はわかっている。
こうして悩んでいる時間が
実は一番楽しいってことを。
悩んで迷って
それでもやりたければ受講しよう。
あれもこれもやってみたい気持ちはあるから
私の未来はいつも騒がしい。
——それが身になるかは別として
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