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【怪談屋09】手形

※音声配信など、朗読に限り使用自由です。

魂は上りて神となり、魄は下りて鬼となる。
そして、百の物語が紡がれし夜、何かが起こる。
私の体験を記したものや、知り合いになった人から聞いたこと、あるいは創作など。

「夜に行ってはいけない場所って、あると思うんです」と、Sさんは語る。

久渡寺(くどじ)には、数多くの心霊現象の噂があることで有名だ。御堂へ向かう階段についた手形を踏むと祟られる、あるいは境内の池を覗き込むと死後の世界が見えてしまう、など。所謂、心霊スポットと呼ばれるたぐいの場所だ。中でも観音堂の裏手に二百体以上並んだ石仏群のあたりでは、よく心霊写真が撮れるという話だった。
Sさん達は肝試しをしよう、ということで、事前にネットで色々と調べてから、車で久渡寺へ向かうことにした。じめじめとした夏の夜に、弘前の市街地から30分の道のり。大昔に土砂崩れがあって、犠牲者の供養のために石仏を置いたらしい、とか、本堂には幽霊画があるらしい、とか、道中はそんな話で盛り上がった。
「どれもネット由来の怪しい話でしたけど、雰囲気を楽しめればそれでいいんです」
やがて、駐車場で車から降りると、鬱蒼とした山の入口に一対狛犬(こまいぬ)が並び、そこから山の上に向かって長い石段が延びているのが見えた。
「やば。とうとう着いたな」
誰にともなく、友達の一人が言った。
「マジで行くの」と女友達がぼやく。
遅れて運転席の友達が小走りで合流する。
そのまま、Sさん達はぞろぞろと参道を登り始めた。
全部で三百段近くある石段は、始めこそ比較的緩やかだったものの、登るうちに造りは荒く不規則になり、勾配も急になってくる。それだけならまだしも、左右を鬱蒼とした林に挟まれ、夏の深い闇に満たされた空間を、懐中電灯の灯りだけを頼りに進むのである。次第に仲間達の息も上がってくる。
「さっさと石像の写真だけ撮って帰ろうぜ」
仲間達の気持ちを代弁するように友達の一人が言う。石段には手形があるという話だったが、この暗さではとても探せたものではない。
気付けば小走りで、あっという間に開けた場所に出た。
Sさんが正面に懐中電灯を向けると、赤塗りの立派な御堂が見えた。参拝者用の鈴紐が垂れていて、ぴったり閉じた観音開きの扉は錠前で固く施錠されている。
「おい、早く行くぞ」
Sさんが御堂を眺めている間にも、仲間達は右手側の細道をぐんぐん進んでいた。早く行きたい気持ちはSさんも同じだったので、すぐに小走りで着いていく。
ざわざわと木々を揺らす風のせいか、あるいは石段を登って汗をかいたせいか、Sさんはひどく寒気を覚えていた。もはや雰囲気を楽しむといった余裕は無く、仲間達は妙に事務的な態度で御堂の裏手に回る。そして、唐突に石仏群が現れた。
左右、後ろの三方を林に囲まれ、勾配の緩やかな雛壇のような造りの石段に、ずらりと石仏が並び、Sさん達の方を向いている。二百体、とは聞いていたが、Sさん達に見えるのは灯りの当たる部分だけだ。石段の方向、何処へ懐中電灯を向けても地蔵大の石仏が無数に正面を向いていて、一体どの程度の規模なのか、全貌を図ることが難しかった。
「よし……撮るか」
仲間達はそれぞれ、携帯電話で写真を撮り始める。木々がざわざわと騒ぐ中、ぴ、ぱしゃ、と三者三様の電子音が小さく鳴った。
Sさんだけが、おや、と首をかしげた。
木々のざわめきに混じって、人の声を聞いたような気がした。──いや、今も聞こえている。
試合を観戦する無数の聴衆が、各々で隣の人間と話すようなトーンだ。
……ここには長く居たくない。
Sさんは思わず「もう撮れただろ、帰ろう」と仲間達に言う。
そうだな、早く行こう、と仲間達も聞き分けよくSさんの提案を受け入れた。怖さのせいか、仲間達は終始事務的だった。
Sさん達はそそくさと石段を降り、暗がりで躓いて転びそうになりながら、結局ここまで何も起きずに駐車場まで戻ってきた。
車まで着くと、運転手の友達がうわぁ、と声を上げる。
「なんだよこれ」
車の窓ガラスに、子供のものと思しき手形が見えた。懐中電灯の光で照らすと、車をぐるりと取り巻くように無数の白い手形が付いている。
「いやぁ!」
手形を見た女友達が頭を抱える。
「もうムリ、もうムリ、もうムリ……」
しかし帰るには車に乗らない訳にはいかず、仕方なく乗り込んで車を出そうとした。
数回鍵を回して、運転席の友達は顔を蒼くする。
「エンジンがかからねぇ」
その声のあと、車のガラスが、ばんっ、という大きな音を発する。Sさんたちの目の前で、ガラスに手形が現れた。
「ぃぃぃぃ!」
女友達は声にならない声を発する。
ばんっ!ばんっ!ばんっ!
数回続けて、ガラスの手形が増えた。そのとき、エンジンがようやく掛かる。車は大急ぎで駐車場を出て、県道を市街地へ向けて北上した。
平屋の住宅がまばらに続く市街地を進むうち、いつの間にか、ガラスを覆っていた手形は跡形もなく消えたという。
「……別にあの後、とくに悪いことは起きてないんですけど。夜に久渡寺へ行くことはオススメしません。本当に」
と、Sさんは言う。

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