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「降りてきたー」の瞬間

企画を考えている時、タイトルで悩んでいる時、たまーに「降りてきたー」ということがある。セレンディピティ、「計画的偶然性」「偶察力」などと訳される最高に素敵な瞬間だ。

セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。(Wikipediaより)

いつも使うボールペンがどこにもなくキッチンの引き出しまで探していると、以前なくしたと思い込んでいたピアスが見つかった。これがセレンディピティだ。

ネットで検索すると、ポストイットやコカコーラの例が出てくる。強力な接着剤を開発するなかで、粘着力の弱い失敗作ができてしまったが、それを使って本のしおりを作ったのがポストイット。コカコーラは開発中に水の代わりに間違って炭酸水を入れたらおいしかったのが始まり。たぶん、多くの発明、発見には、セレンディピティがつきものなのだろうと思う。

私が編集を手掛けたなかで一番売上を伸ばしたのは、2009年〜2010年の『ザ・トレーシー・メソッド』というDVDシリーズだ。当時、マドンナのパーソナルトレーナーをしていたトレーシー・アンダーソンのエクササイズDVDを日本に紹介し大ヒットした。マガジンハウスからDVDを出すこと自体が初めてで、契約から制作、販売、来日プロモーションまで、すべてが手探りだったが、無我夢中で取り組んだ。

その始まりも、まさにセレンディピティだった。

『Tarzan(ターザン)』の女性版『jane(ジェーン)』を定期刊行物にしようというプロジェクトがあり、編集長Iさんと共にテスト版を作ったが、売れ行きはさんざんで、売れない原因を探る反省会が行われた。その席上、販売部から激しい非難を受けた。「NY特集という単発の考え方ではなく、janeの読者に新たなライフスタイルを提案し、憧れる人やモノがいつも出ている雑誌にしないと」「ワールドワイドを掲げるのはいいけれど、NYのフィットネス事情を紹介されても実用性がない。janeの顔になるトレーナーとかいないわけ?」…。

耳が痛い話ばかり、テスト版をペラペラめくりながら聞いていた。巻頭に1ページ1ネタのワールドニュースがあり、そこに、ロンドンで行われたフィットネスイベントの特別ゲストにマドンナのパーソナルトレーナーが来て大盛況だったというレポートがあった。「例えば、この人を取材するとか?」とつぶやいた。「あのマドンナですよ」「ワールドワイドのトップにいるマドンナですものね」「このエクササイズが日本でも家でもできたらいいんですよね」。話しているうちに、どんどんイケる気がして興奮してきた。販売部は、「う、うん」という感じだった。

売れなかった号の反省会で、たまたま開いたページを見て、思いつきの発言をして、話しているうちに乗ってきた。このセレンディピティが、形になるまでには、それから数か月、紆余曲折の連続で、もちろん社内外の理解者や協力者がいてこそなのだが、最初の「降りてきたー」感覚は今でも忘れられない。

こういうセレンディピティは何度かある。その時に「来たー」と思うこともあるし、後から「偶然の産物だった」と気づくこともある。そして、ここは正直に言わないといけないのだが、中には「後づけ」のセレンディピティもあるし、もっと正直に言うと、「来たー」と思って来ていなかったこと、つまり、思い入れのわりに売れなかったことも何度もある。ただ、売れたものは何らかのセレンディピティを伴うことが多いのは確かだ。

毎回セレンディピティが起こればいいのに、と本当に思う。なにしろ「偶然」を待つしかないので起こってほしい時に起こってはくれないが、セレンディピティを起こす確率を上げる方法はある。それは、考えて、考えて、考えること。「考える時間をつくる」こと、「1秒でも早く1秒でも長く考える」こと。考えて、考えて、考えたあと、その考えを寝かせて別のことをしていると、ヒョイっとセレンディピティが起こる。街中を歩いていたり、電車の広告を見ていて、「あ、これだ」と思ったりする。だから、1秒でも早く考える時間を作り1秒でも長く考えるようにしている。

冒頭の例で言えば、ボールペンを探して、探して、探していたから、ピアスが見つかったということ。『ザ・トレーシー・メソッド』の例で言えば、テスト版が売れなかった理由を関係者で考えて、考えて、考えていたから、その言葉に触発されたということ。考えて、考えて、考える作業を省いては、セレンディピティは起こらない。起こっても気づかない。ある程度まで考えているからこそ、別のものを見てハッと気づくことができるわけだし、それをキャッチできるのだ。

例えるならば、分子構造の模型のようなイメージだ。企画やタイトルを考えて、考えて、考えていると、そのことにばかりに焦点を当てている状態になる。その分子球体だけクッキリ宙に浮いて、周辺はぼやけて見えなくなっている。一度、その考えを寝かせて、別のことに視線を向けると、今度はその別のことの周辺に企画やタイトルの分子が入る。思考の中では、焦点を当てている分子は動きにくく、周辺にある分子同士のほうが動きが活発で繋がりやすい。ただし、あくまで、企画やタイトルがある程度まで考えられた大きな分子になっていることが前提で、その分子があるから、他の分子を引きつけたり、繋がったりして、新たな物質を形成できる。

「降りてきたー」がない時にも、締め切りはある。偶然に左右されるセレンディピティを頼みの綱にするわけにもいかないので、日々の発想力の鍛えかた、発想の飛ばしかたみたいなことを次回は考えてみたい。

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