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私の履歴書的なもの

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私の履歴書風備忘録。
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記事一覧

トタン屋根という境界

70年代の二俣川を思い出すと駐車場の空き地や布団工場など古い建物はたいていトタン屋根だった。あの波型の形状、雨などでところどころ赤黒く錆びたり腐食した亜鉛の色。

今ではあまり目にすることがなくなったが、トタン屋根は子供と大人の境界線にあるものだった。

兄は小さい頃、窓から出て実家のトタン屋根でマッチを燃やして小さなボヤを起こした。マッチで火がつくのが面白く遊びの延長だった。大人たちにはたまった

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8ミリ上映、ポイント制景品、輸入菓子

父は酒屋を高校卒で継いだが、高校では映画研究会の代表だった。本当かどうか知らないかその代表の証を見せれば、授業中でも映画館で映画を観れたらしい。

そんな趣味が高じたのか、従兄弟が酒屋の隣で喫茶店を始めた時分に8ミリ映画上映などをエンターテイメントとしてやっていたそうだ。今でいえば音楽のプロモーションビデオをスクリーンで流しているような演出の先駆けだった。だがまったく客受けしないのでやめてしまった

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南国への扉

実家が酒屋だったので、店頭に置いてあったアルコール類は子どもの自分にとっては未知の世界だった。

それはラベルに記されたほとんど読めない外国の言葉であり、色とりどりのボトルやラベルの絵やデザインだった。酒はリキュールを含めて異国情緒たっぷりだったが、子ども心には「気味が悪い」ものに見えた。

そのなかでもわかりやすかったのは、南国のリキュールでマリブのように、ヤシの木と南国の夕暮れの情景が描かれた

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空き地、ドブ川、田んぼ

70年代の二俣川にはドラえもんやサザエさんで日常的に行われている風景があった。

空き地、つまり大人的に言えば公園ではなく一時的な資材置き場だったり有休地があり、そこへ柵を越え勝手に入り遊んだ。実家の酒屋はサブちゃんこそいなかったが頼まれれば家まで配達した。子どもの頃はよく配達の手伝いをした。

実家の近くに帷子川という川が流れていたが、公害問題が社会問題化しつつある頃で、ゴミが散乱してとにかく汚

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1968年のベースボール

成田美名子氏の漫画「CIPHER 」で主人公の女性アニスが父親と過去の出来事について話す場面がある。それは舞台となるアメリカの80年代の平均的な世代が過ごした青春期の60年代後半から70年代についてである。彼の口から出たのはアポロの月面着陸、そしてウッドストックフェスティバルである。
この漫画を読んでいたのは1986年ごろで自分は大学生であったが、始めて自分の生まれた時代を意識した。なぜなら自分

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二俣川1970年代、80年代

実家は横浜市の私鉄相模鉄道の二俣川という駅前で酒屋を営んでいた。だが実家は代々この地で長らく商売をしていて、酒屋というのはシン・ゴジラ風に言えば最終形態であった。

創業は江戸の末期で、明治時代には生糸工場も経営していたらしいが衰退し、田舎のよろず屋のような販売店に落ち着いた。

自分が小さい頃はまだ酒以外に肉や果物などの生鮮食品も扱っていたし、人が入れる位の大きさの精肉用の冷蔵庫もあった。

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