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推しに捧げる、社会への小さな反抗。

毎日過ごす町に色がなく、凡俗的である。雲のようにすぎていく時間は、儚く、泡のように消えていく。たまの気保養にと思い、外に出るものの、しっくり馴染まない感じに悶える。体も心も元気なはずなのに。見上げたら鉛色の虚空が広がっていた。僕は踵をかえした。

働けど 働けどなお わが暮らし 楽にならざり

生活苦を歌ったこの歌は抒情性があり、差し迫る思いが伝わる良い歌だ。平均的な暮らしができているだけ有難い自分はどうも平和ボケしている。そうだというのなら、僕は爆弾を抱えていない現代版『檸檬』の「私」である。

モーニングルーティン動画を観ても、動画の主のような丁寧な暮らしができない僕のモーニングルーティンは「起きる」だけ。

前座はここまでにして……



さぁーて、今週のnoruniruは〜?

・「○○は俺の嫁」から「推し」に包含された推し文化
・つまらない人生になるかどうかは死ぬ迄わからない
・1人の人を推し続ける幸せ

の3本ですぅ。


一昔前は「○○は俺の嫁」と、キャラクターの名をあてはめて、このように言っていたヲタク文化だった。ちなみに僕は「けいおん!」の澪ちゃんが嫁だった。(世代がバレる)

恥ずかしがり屋、人見知りなベーシスト秋山澪

しかし、ここ数年、「推し」と言葉が移り変わる。AKB48が台頭してきたあたりからこの言葉が増えたような気がする。(僕の推しメンは柏木由紀でした。また世代がバレる)

「ヲタク」に変わるものとして「推し」もしくは「推し活」へと、言語感覚として非常にマイルドになった。

人生のゴールは結婚とは限らない。幸せはその人その人の推し活に生きる意味を見出しているのだ。

舞菜にとって私はただのファンにすぎないかもだけど、たった1人を推し続けることをこんなにも幸せだって教えてくれた

『推しが武道館に行ってくれたら死ぬ』第9話、えりぴよのこの発言が「推し」のすべてを物語っている。「推し」という行為自体が幸せなのだという結論なのだ。

日々の暮らしの鬱憤を「推し活」によって、「本当の自分」を素直に受け入れることができる気がする。それは社会への小さな反抗なのかもしれない。

「推せるうちは推しておこう」

推しとの出会いがあれば別れもある。グループの脱退や卒業、引退によって、「推し続ける」終わりがそこにあることを示唆したヲタクの名言である。人生つまらなかったとしても、1人の人を推し続けるその幸せをかみしめていこう。

オガサワラ『推しが辞めた』第3巻より

最近読んだ漫画で『推しが辞めた』という漫画がある。25歳派遣事務OL兼風俗嬢が推していたアイドルが突如辞めたところから話が始まる。「推し活」が何よりも幸せだったはずなのに、推しがいなくなって、生きる糧を失ったヲタクの話である。それぞれ、「推し活」事情がよくわかる面白い漫画だ。

ちなみに僕はこの間までSPY×FAMILYのアーニャを推していたわけだけど、第2シーズンが始まってからヨルさんが好きになりました。(小声)

人の数だけ「推し活」が存在する。推し側も推される側も幸あれ。

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