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【ざっくり中国史㉒】清 後編

ヨーロッパなど圧力に押され、国内情勢がどんどん崩壊していくわけですが、その過程をざっくりみていきましょう。

アヘン戦争

歴代の王朝と同じく、清も対外関係は基本的に朝貢しか認めていませんでした。18世紀末、イギリス大使のマカートニーが対等な外交関係をもとめてやってきますが、交渉が決裂します。当時、西洋に絹や陶磁器を輸出する一方、輸入の必要性は低く、朝貢以外はいらないと思っていたからです。

ところが、清が西洋に無関心な態度をとっている間に、ヨーロッパでは産業革命が進み、アジアの植民地化が加速します。

清も例外なくヨーロッパからの支配を受けることとなります。

それはアヘン戦争です。

アヘン戦争って何?名前は聞いたことあるけど、、、

イギリスと清の戦争ですが、時系列にすると

①イギリスは自国産の繊維製品をインドに輸出するして外貨を得る

②一方でイギリスは清から茶を輸入するが、輸入しすぎてお金が足りなくなる

③インドで採集したアヘンという麻薬を清に転売して埋め合わせをする(ちなみにこの時のインドはイギリスの支配を受けていましたので、イギリスの言うことを聞くしかありませんでした)

④清は心身をむしばむアヘンの売買を禁じますが、下層民を中心にアヘン依存症の人間が増え、しかもアヘンの購入によって国内の銀が大量に流出し、財政を圧迫する

⑤時の皇帝、道光帝からアヘン取り締まりの最高責任者に任命された、林則徐(りんそくじょ)は、イギリス商人からアヘンを強制的に没収して廃棄しました

⑥これをイギリスは不服従だとみなしたため、大量の兵員を清に派遣します。

これがアヘン戦争の始まりの経緯です。2年間に及ぶ戦争はイギリスが勝利し、イギリスは広州、上海、南京を制圧します。

アヘン戦争後に清はイギリスと南京条約を結びます。上海などの5ヶ所を開港、香港の譲渡、多額の賠償金の支払いなど、いわゆる不平等条約を結ばされるのです。

そんなアヘンの恐ろしさを描いた漫画『満州アヘンスクワッド』を読めばよくわかるかと思います。あと面白いです。

国内外で起こる戦争に疲弊する清

南京条約でイギリスが清に対し、5ヶ所を開港させたのも、「たくさん貿易して稼ぎたい」からです。

といっても、清は納得のいかない条約を結ばされた清は黙ってないですよね。そんなときに、アロー号事件が起こります。

中国船のアロー号がイギリス船と偽って、広州沖に泊まっていました。それを聞きつけた清の役人が、アロー号にいた船乗たちを引きずり下ろしただけでなく、イギリス国旗を投げ捨てたのです(イギリス船と偽っていたのでイギリス国旗を挿していました)

これを侮辱行為ととらえたイギリスはフランスとともに、戦争をしかけます。これがアロー号事件なのですが、アヘン戦争に続き、ヨーロッパとの連戦連敗により、清は疲弊してしまいます。

アロー号事件後に清は天津条約を結びます。

外国公使の北京在留、アヘン貿易の合法化、キリスト教の布教、外国との貿易港の拡大などが盛り込まれていました。

清からしてみれば嫌ですよね。アヘン貿易を合法化するなんて。だから清は嫌嫌な態度をとっていると、イギリス・フランス軍が北京に侵攻してきます。清はついに屈服し、より不利な北京条約を結びます。

イギリスに九龍半島南部を割譲することとなります。

内乱で国内がめちゃめちゃになった上に、追い打ちをかけるように日本とも戦争

清は財政の悪化やイギリスへの賠償のために、国民に重税を課しました。貧困層の間では不満が高まる中、洪秀全(こうしゅうぜん)という人が兵をたちあげ、太平天国の乱がおきます。「太平天国」というのは洪秀全が立ち上げた反清組織の集いによる国家です。

洪秀全は言いました。

「満州人が国家を運営するからこうなるんだ。これからは漢人の時代だ」

ということで、満州人を倒すことを目的とした内乱をおこします。

これはヨーロッパの助けを借りた清によって鎮圧されてしまいますが、基本的に内乱っていいことないんですよね。この内乱で清はどんどん退廃してしまいます。

内乱が落ち着いたころに、太平天国の乱を鎮めた立役者・曾国藩(そうこくはん)とその部下・李鴻章(りこうしょう)によって、改革を図ろうと西洋式の最新の軍隊をつくろうと頑張ります。

この頃、日本では江戸幕府が滅亡し、訪米列国に並んで近代化を図ろうと、アジア周辺国を中心に植民地化を図ります。

そこで日本が第一の目的にしたのが朝鮮でした。まぁ、お隣さんだからね。

朝鮮に侵攻を図る日本に対し、朝鮮は清を頼ります。

これに清は朝鮮を助ける名目で日本と戦争します。これが日清戦争です。

しかし、これにも負けてしまいます。

日清戦争の敗北によってヨーロッパ各国は

「清って大した国じゃないな」

と勘づいて、ヨーロッパ各国は清に攻めていきます。これによって、清はイギリスやフランス、ドイツ、ロシアに租借地を提供します。「租借地」とは簡単に言うと「返却期限をきめて土地をあげる」ことです。

大体の租借地は第二次世界大戦後に返却されますが、イギリスに提供した香港は1997年にようやく返却されました。

ヨーロッパ各国から攻められると民衆は不安や不満を原動力に、外国勢力の排除を目的とした秘密結社・義和団を結成し、反乱を起こします。これを北清事変といいますが、これもやはりヨーロッパ各国に抑えられてしまいます。この後に清は各国と北京議定書というのを結びます。莫大な賠償金と北京の外交公館の周辺などに列強の軍隊が駐屯することを認めました。

首都北京にヨーロッパ列強の軍隊が置かれてしまうと、清は袋のネズミです。清が何か動きを見せたらすぐヨーロッパに抑えられてしまう状況ができあがったのです。

このとき、清朝最後の皇帝・宣統帝(溥儀)が即位します。

長くなりましたので、次回は清の滅亡から中華民国の成立をみていきます。


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