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【ざっくり中国史㉑】清 中編

清王朝は、後金を建国したヌルハチから最後の皇帝、溥儀(映画『ラストエンペラー』の主人公でも有名ですね)まで、12人の皇帝がいたわけですが、約300年も続く清王朝については、これからは一人一人の皇帝を軸にみていきたいと思います。

そして【ざっくり中国史㉑】において、清の創成期から発展期にかけて、4人の皇帝が登場します。それが

3代目 順治帝
4代目 康熙帝
5代目 雍正帝
6代目 乾隆帝

の4人です。この4人が清の黄金期をささえたともいわれています。

したがって今からこの4人の皇帝についてみていきます。

3代目 順治帝

3代目順治帝のとき、万里の長城を越え、北京に入り、明を倒したばかりの李自成を倒します。

異民族でありながら李自成を倒し、明を倒された敵をとって明の後継王朝として清のポジションを確固たるものとなります。

清を建国した当時、満州人は50万人いたのに対し、漢民族は1億人いたと推定されています。そんな人口比率であるが故、満州人による支配は容易ではありません。

したがって、順治帝はそんな漢民族に対し、ヨイショします。つまり媚びを売るような政策を行います。

しかし、媚びを売るだけの清朝ではありません。

そこで、満州人の風習である辮髪(べんぱつ)を漢民族に強要します。

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漫画『キン肉マン』に登場するラーメンマンの髪型も辮髪です。

日本でいうところの「ちょんまげ」ですね。

この辮髪というのは、敵と味方の区別をつけるためといわれています。

4代目 康熙帝

康熙帝は、在位61年という、中国史上最長の皇帝だったんです。自分のことよりも国の幸せを願うような人でした。そしてめちゃめちゃ勉強をするんですね。それもあくまで「国の幸せ」のためなのです。めちゃめちゃ勉強熱心、仕事熱心だった、4代目康熙帝(こうきてい)の時代に起こったことはざっくりいうと

・上海、寧波、厦門(あもい)、広州を開港
→中国全土を統一した清ですが、中国のより南の地域(台湾とかあのあたり)に住む、明王朝の生き残りの一族を倒し平定します。こういった支配に不満をもった漢民族である、呉三桂ら3人が反乱を起こします。これを三藩(さんぱん)の乱といいますが、呉三桂らは破れてしまいます。これによって、康熙帝は上記の4つの港を開港します。

・ネルチンスク条約の締結
→時を同じくして、満州(中国東北部)にて、南下してきたロシア帝国と衝突します。「戦争とかめんどくさいし、ここから先はロシア帝国さんのものでいい?」といった感じで、清とロシア帝国との国境をスタノヴォイ山脈を境にして定めた内容となっているのがネルチンスク条約です。明の時代からやっていた朝貢関係とは異なり、外国と対等な関係で結ばれた初めての条約なのです。

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・版図拡大に伴い、税の徴収方法を変えた
→それまでは一人一人にかける税土地にかける税の2種類ありましたが、前者は徴収を逃れようと、子供が産まれても申告しない者が出てきたのです。そこで康熙帝は1711年時点の成人の数を基準に、それ以上の徴収をやめ、土地に対する税だけを徴収する方法の一本化にしました。こうすることによって、人口の増加が報告されるようになり、清の人口は18世紀には約3億人いたとされています。

5代目 雍正帝

5代目の雍正帝(ようせいてい)はどちらかというと、中継ぎ的なポジションでしたが、康熙帝と同様に勉強熱心、仕事熱心で、各地からの報告書に欠かさず目を通し、部下に任せず自分で対応していました。

そんな雍正帝ですが、皇帝の補佐役として軍機処を設置します。

清朝における公用語は満州語が用いられており(満州人の王朝ですからね)、各地から届く漢文の報告書を満州語に翻訳しなければならず、とても時間のかかる作業でした。そこで軍機処に漢人と満州人の書記官を配置し、政務の迅速化を図ったのです。

6代目 乾隆帝

6代目乾隆帝(けんりゅうてい)のときに、清朝の黄金期をむかえます。

乾隆帝は領土拡大を図るべく、長年の敵だった北方民族のジュンガルを討つために、10度の遠征をおこない、すべて勝利しました。これにより乾隆帝は「十全老人」と自称します。

ジュンガルを壊滅させて東トルキスタン地方を平定し、この地域を新たな開拓地を意味する「新彊」(しんきょう)と名付けました。現在の中国の領土は、当時の清の版図を受け継ぐ形となってます。

ちなみに、乾隆帝のときに、全7万9000巻以上の『四庫全書』を編纂させたのです。これは、古今の書物をできるだけすべて集めて書写したものとなっています。現代において、中国の歴史を知る最初の入り口として『四庫全書』がよく用いられます。機会があったら見てみてください。

『四庫全書』は清の乾隆帝(1711-1799)の勅命によって編纂された中国最大の叢書です。古今の重要な書物約3,460種、7万9千巻を、経(経書=儒教の経典や注釈など)・史(歴史や地理など)・子(諸子百家等)・集(詩文等)の四部に分類して収録しています。『四庫全書』とその関連叢書だけで15,000種以上の漢籍を収録しており、清代以前の漢籍を探す際にはまず調査したい資料群となっています。「国立国会図書館 リサーチ・ナビ」(『四庫全書』と関連叢書の調べ方)より

ヨーロッパとの交流が増え始める

康熙帝から乾隆帝の時代にかけて、経済も大きく発展します。それは、

ヨーロッパとの貿易活動が増えたからです。

主に、茶・生糸・陶磁器がヨーロッパに輸出され、代価として銀が大量に清へ流入しました。

また、アメリカ大陸原産のカボチャやサツマイモ、トウモロコシなどの栽培が清に広まり、食糧事情の改善によって、人口増加が促されるとともに、経済的発展していきました。


さて、次回はいよいよ清朝が滅亡する話をしていきます。中国史における最後の王朝はどのようにして終わりをむかえるのでしょうか。


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