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窪美澄『夜に星を放つ』にみる、人との出会いは希望であり、絶望であるということ。

人間は見えないものに思いを馳せる生き物である。

第167回直木賞受賞作、窪美澄『夜に星を放つ』は、星や天体をモチーフとした5編からなる短編集で、どの作品にも人生の迷いに葛藤し、奮闘する物語が描かれている。

3年前、双子の妹を脳内出血で亡くなった32歳の綾。夏休み、海で出会った年上の女性に惹かれてしまう高校生の真。クラスでいじめにあっている女子中学生のみちる。妻が幼い娘を連れて家を出ていった37歳の沢渡。両親の離婚後、父の再婚相手と産まれたばかりの異母弟とクラス小学4年生の想。

この5編に共通しているのは、「喪失とそれを静かに乗り越えていく」ことである。

ゆるいネットワークで繋がっていても、所詮赤の他人。父の再婚相手から「今日からあなたのママよ」と言われても所詮赤の他人。でもなぜ赤の他人に心惹かれていくのか。

妻が幼い娘を連れて家を出ていった37歳の沢渡を描いた「湿りの雨」を例に考えてみよう。

妻が娘を連れて家を出ていってから1年が経ち、沢渡が住むアパートの隣の部屋に、シングルマザーの船場という女性が越してきた。

沢渡は日曜日、娘とよく行っていた公園に1人で酒を飲んで過ごすことがルーティンとなっていた。そんな折り、シングルマザーの船場が娘を連れて遊んでいるのを見かける。

1人で家事、育児、保育園の送り迎えの日々でゆっくり休む時間もないのだろうと思った沢渡は、「一緒にボール遊びしてますんで、ゆっくり休んで下さい」と言う。最初、戸惑っていた船場だったが、沢渡の優しさに惹かれ、以降、3人で度々会うようになる。

自分と同じ境遇にある人を放っておけない沢渡の性分が出たのだろう。自分自身の心の寂しさを埋めるために、自分と同じ境遇にある者にそれを投影する。細かな展開はネタバレになるので控えるが、自分と同じ境遇に惹かれていた沢渡だったが、ひょんなことからこの船場というシングルマザーとはもう会えなくなってしまう。

人間関係を考える度に思う、「人との出会いは希望でもあり、絶望でもある」儚いものが本作を通して共通している点である。

窪美澄という作家の作品は初めて読んだ。とくに本作はコロナ禍の混迷の時代を描いた時代性もさることながら、そこら辺にいるごくごく普通の老若男女を描いている点において、読みやすく、物語を俯瞰で望むことができる。人々の喪失と、この5編を通して星座や天体がモチーフになっているが、主人公たちの生きる道標としてのメタファーになっている作品であった。

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