以下、本文は「青空文庫」からの引用である。めちゃめちゃ短い。戦時中に、太宰が妻子連れて太宰の生まれ故郷の津軽へ疎開したときのエッセイである。
「この子の頭上に爆弾が落ちたら」という誇張表現。あと親ばかっぷりがすごい
今なら車で30分で海に行けると思う。
「最も貴重な思い出」なのか…???一応島国なんだが…
「爆弾でこわされた」なかなかのパワーワードだ…
こういうときぐらいは妻の実家にころがりこむのはしょうがない。でも
普段だったら絶対嫌だ。
これはぴえん
最初からより安全なところに行けばよかったがこればかりは予想できまい。
最初、「あんたの最後玉川上水やんけ」と思いましたが、「ここで骨を埋める覚悟である」という比喩だったのかもしれないと思い、僕の読解力のなさを恥じました。
三昼夜もかかるの!?
「海は、海の見えるのは、どちら側です。」ってきく太宰、かわいい
太宰、ワクワク
なにかのフラグでしかない
すこし落ち着きなさい
親としてはそういうものだろうか
せっかくの海を「川」呼ばわりする娘
太宰「えっっっっっっっっっっっっっっっ???????」
妻まで川呼ばわりして草
太宰、激おこ
あぁ。悲しい最後でした。エモい。
前回までのはこちらから