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まだ大人になれなかった僕は『耳をすませば』を観る。

雨がシトシトと降り始めた日曜日、僕は『耳をすませば』を観ていた。

ビールを片手にジブリ映画の鑑賞は、他のそれとは異をなしていて心地よい。

90年代〜00年代初頭のジブリ映画が特に好き。『耳をすませば』も1995年公開のジブリ映画で、僕が生まれたときとほぼ同時である。

あらすじ

© 1995 柊あおい/集英社・Studio GhibliNH

公開から27年も経っているのに何度も観たくなる。だから昨日もふと思い立ってTSUTAYAに行って借りてきた。

東京の中心から少し外れた郊外で、受験を控えた中学生の月島雫は、学校の図書館の貸出カードでいつも目にする「天沢聖司」という名前の人物が気になりはじめる。

© 1995 柊あおい/集英社・Studio GhibliNH

雫はそんな天沢がバイオリン職人になる夢を抱いていると知る。

© 1995 柊あおい/集英社・Studio GhibliNH

天沢の夢に触発され、雫は小説を書き始める。

© 1995 柊あおい/集英社・Studio GhibliNH

おおよそのあらすじはこういったところだが、色んな人が行き交う都心ではなくて、少し田舎の「どこにでもいる普通の中学生男女」というところがポイント高い。

皆の心が通じ合っているシーンにグッとくる

さて、この『耳をすませば』の中に登場する雫の父のセリフが印象深いであろう。

人と違う生き方は、それなりにしんどいぞ。何が起きても誰のせいにもできないからね。
雫の進路について父が放ったセリフ

いろんな記事でみる雫の父の名言を、ことさらまた取り上げるつもりはない。当時の時代背景と雫の父の過ごした環境があるから出たセリフであるので、現代の価値観にあてはめて論じるのは違うので、ここではやめておく。これは歴史を論ずるときも同じである。

僕がこの作品の中で1番胸を打たれたのがこのシーンだ。

© 1995 柊あおい/集英社・Studio GhibliNH

雫が「何か弾いてみて!」とお願いし、「じゃあ、お前のよく知ってるやつやるよ。だからお前は歌え」と言うのである。(セリフはうろ覚えですまん)

実際に弾いたのが作中で雫が和訳した「カントリーロード」で、当初「やだ!恥ずかしい」と言いながらも見事に歌い上げた。その後、たまたま居合わせた天沢のおじいちゃんたちセッションするのだ。それが上記のシーンである。

最初は恥ずかしがってた雫も趣が乗り、楽しく歌っている姿と皆の心が通じ合っている瞬間にグッときた。皆すごくいい笑顔で歌う喜びを分かちあっている気がする。嫌なことがあれば歌を歌っていれば忘れてしまいそうなくらいに。

「自分を演じる」ことに無理をしている

もしどこか違う世界に飛べるのならと、いろいろ考えてしまう。

僕は中世の城下町だったらいいなと思うし、ある人はどうぶつの森の世界に入りたいと言っていた。

日本に住んでいる以上、日本のどこに行っても、「あ、こんな感じか」とある程度凝り固まっている。その点、異世界に住んでみたい。誰も僕のことを知らない世界に憧れがある。

どうも最近、こういったことを考えているといつも思うのは「自分はどの世界に属しているのか」である。限られた環境での閉塞感に苦しいと思うことがある。

仕事では100パーセントの笑顔で振る舞っていても、家に帰った途端、どっと疲れが押し寄せ、とてもじゃないけど般若のお面かのようである。もう笑っていられなくなるのである。仕事ではIQ130でフル回転するものの、その反動で家に着いた途端IQが2になる。もしくは幼児化する。『月曜日のたわわ』で炎上しているインターネットがまだ平和に思えるほどに。

一応僕は仕事についていえば充実しているし、大変とか辛いとかではない。

偽りの自分を演じているのがすごく辛い

「八方美人」や「世渡り上手」、ダブルスタンダードな態度で接する人もいるけど、たぶん無理してるよそれは。どこかで「本気で笑っていたい自分」もいるはず。

だめだなぁ。偽りの自分は本当に出来が悪い。とりあえず愛想よく振る舞っていれば、ちょっとしたことでも「まぁまぁドンマイ」と言ってくれるし、ありがたいことであるけど、僕の世渡りがうまくいっただけ。

『耳をすませば』に登場する雫をはじめとする人たちに共通しているのは、「自分の欲望に忠実に生きている」こと。そうでなければ、「イタリアに行って修行する!」とはならないし、「自分も小説書いてみたい!」とはならないだろう。だから「やりたいことがやれていいねぇ」という月並みな感想しか出てこないが、実際そう。

話は戻るが、もしどこか違う世界に飛べるのなら僕は天沢のじいちゃん家に住みたい。80歳であとは余生を謳歌するだけのはずなのに、「え、もしかして人生5周目ですか!?」という生き方をしていて好き。

よく頑張りましたね。あなたは素敵です。
雫が書いた小説を読んだ天沢のじいちゃんのストレートな感想にグッとくる
© 1995 柊あおい/集英社・Studio Ghibli・NH

僕、このおじいちゃんのもとで頑張りたいなと思うし、なにかあったら真っ先に駆け込むとしたらこのおじいちゃんである。自分に無理することなく、生きていける世界に憧れがある。でも、自分が知らない世界も多すぎる。だからこういう妄想をしている時間も好き。「自分に合う世界で生きていきたい」と思える理想郷を思い浮かべる。

「天空の城ラピュタ」とか「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」のようなファンタジー要素が組み込まれている世界観も好きだけど、普通の生活をしていると起こるであろうジレンマや悩みに立ち向かって、奮闘に生きる様を描いているジブリ映画も好きだ。

お互いに自由に過ごせる絶妙な距離感の最適解

僕にはそれなりに自尊心はあるし、自分の好きなところだってある。

・スイーツをおいしそうに食べること
・「ま、どうにかなるっしょ!」と楽天的なところ
・趣味を満喫している自分
・誰かに手を差し伸べて、力になってあげたいと思っている自分
・好きなことについて活き活きと話している自分
自分の好きなところ

これは本心で思っていることである。多いのか少ないのかよくわからないが、今までの中で自分を形作った成果のようなものである。

自分の生き方を考えたときにたちはたかる壁というと、孤独から抜け出したいということ。人間の強い欲求ではなかろうか。1人の時間は好きだけど孤独が嫌い。その孤独から脱しようと、人と人がつながる。別にそれが「恋人」や「パートナー」という存在でなくても、絶妙な距離感を保ってお互いに程よく干渉しない関係性がドンピシャである。ある人は「阿佐ヶ谷姉妹みたいな関係性」と言っていたが、めっっっっっちゃそれだ。時と空間を共有しつつも、お互いに自由に過ごせる絶妙な距離感の最適解だ。

ちなみに、阿佐ヶ谷姉妹のエッセイ『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』を読んでいると、しっかり者と思われがちな渡辺江里子さんのおっちょこちょいな一面も知れる良いエッセイだ。

そういった関係性を築けるのは至難の業であるとともに、憧れでもある。そういった存在がいれば、自分の生活に潤いを増す。シェアハウス……?趣味でつながった人……?友だちに紹介してもらう……?

お互いに利害関係を生まない、大人の友だちってどうしたら作れるのだろう。年齢を重ねていくにつれてその難しさを感じる。

いずれにしても、自分の欲望のままに生きること、偽ることのない自分探しには時間が必要だ。まだ僕は大人になりきれていない。その中で観た『耳をすませば』に僕は、これからの未来に想いを馳せる。でも、未来における確実は、それが不確実であることも知る。いつか大人になった自分を。今までの生活の中でお世話になった人に胸を張って会いたい。

あとがき

あとから読み返すと鬱っぽい内容だけど、僕は全然元気だよ!!!今日も明日もそしてそれからも元気にやっていくよ!!!

最近家にいるときはYouTubeで何かいい音楽がないかとよく探しては、「エモいわぁぁぁ」と言っている。

その中で出会った1曲を紹介しよう。

世田谷ピンポンズ「ときめき坂」

ときめき坂を行ったり来たり
サンダルの底もとろけそう
ワクワクするイントロを経てはじまる歌いだしにもう心が掴まれた

70年代フォークや歌謡曲のエッセンスを取り込んで、ノスタルジーな世界観を描く。決して交わることのない男女の切ない思いを奇妙に踊る男女に注目。

エッセイの最後に曲を紹介する感じ、ラジオっぽくて好きなのでこれからも続けていきます。

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