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たまに自分のことが嫌いになる夜。

カーテンの隙間から、温かく優しい光が照らされ、その光線が部屋中いっぱいに漲り溢れている。優しい光にようやく生きている実感になり、心臓がキュッとなっていた。いのちを潤す長雨の季節に入ったが、僕は甘酸っぱい喜びに満ちていた。外は初夏らしい日本晴れになっている。桜が咲いていた木も新しい緑に変わっていて、空気中に染み込んでいた。

いつもの街で、いつものように車を走らせていても、見慣れた光景が広がっているが、闊歩する人々の服は半袖になっていた。僕もそうだ。たった1枚の織物を脱いだだけなのに、生暖かい空気が肌に突き刺さる。

それはそうと、6月に入っていよいよ暑さが本格的になってくるに伴って、僕は少々気だるくなっている。それもあってか最近小説が読めていないのだ。

好きなはずの読書に対する欲がない。好きなはずの趣味に取り組めていない自分が少しダウナーになっている。

気分の落ち込みのバロメーターといえば「趣味の時間を楽しめなくなる」「洗濯物を溜め込む」「入浴ができなくなる」と、個人差はあるがそうともいえる。

僕は全然落ち込んでいるというわけではなく、他の趣味に時間を割いているからである。それは漫画だ。字面を追うという作業を伴うことなく没入できるからである。

たとえば、YouTube観ることを「能動的」とするならば、映画を観ることは「受動的」といえる。

YouTube動画は数秒〜5分くらいの動画が最近増え、長くても15分。1つの動画が観終わったら次何観ようかと探す作業が発生する。それが続くと結局「観るために手を動かす」ことが求められる。だから「能動的」なのである。

しかし稀に『ゆる言語学ラジオ』や『歴史を面白く学ぶCOTEN RADIO(コテンラジオ)』のような長尺の音声コンテンツがある。それは本当に助かる。

それに比して映画は、2時間通しで観ることができ、没入感が得られる。観ている間はただただ受け身の姿勢で観ていればいい。「次に観る動画を探す手間」がなくなる。

小説(に、限らず活字全般)はこれでいうと「能動的」で、漫画は「受動的」といえる。

どんな長編小説でも物語に没入してしまえばあっという間なのだが、最近字面を追う作業に目が疲れやすくなっている。とはいえ、何か面白そうな小説があれば一応買う。最近買ったのでいえば、伊坂幸太郎の新作『マイクロスパイ・アンサンブル』だ。

何かの折にまたゆっくり小説を読む時間を作れればいいなという願いを込めて伊坂幸太郎の新作を買った。これがもし読んで面白かったらまた読書欲が再熱するかもしれない。

小説を読まなくなったかわりに、最近は漫画をよく読んでいる。そこで、最近読んだ漫画についてざっくばらんに話していこう。

SPY×FAMILY

最近勢いがすごい。今期からアニメ放送も開始され、その勢いがとどまることはない。

イケメンキャラ、武闘派の女キャラ、可愛さ満点の幼女キャラ。三者三様で個性の強いキャラが集っている。

原作者・遠藤達哉『SPY×FAMILY』第1巻より

絵柄がスタイリッシュな上に、コメディで笑える要素も各所に散りばめられている。

原作者・遠藤達哉『SPY×FAMILY』第2巻より

可愛い幼女がなぜこんな強烈なパンチを食らわせたのか(そして劇画調で笑う)はぜひ2巻をお読みいただきたい。

スパイの夫(ロイド)、殺し屋の妻(ヨル)、超能力者である幼女(アーニャ)の偽装家族による、ちょっとシリアスでちょっとコメディな展開が面白い。

作りたい女と食べたい女

料理をするのが好きなOL・野本さん、同じ階に住む大食い女子・春日さんによるグルメ漫画。

小食&一人暮らしのため、作りたい欲をセーブしていた野本さんだったが、同じ階に住む春日さんという逸材と出会い、作った料理を振る舞ったことをきっかけに、二人が徐々に距離を縮めていく物語だ。

原作者・ゆざきさかおみ『作りたい女と食べたい女』第1巻より

食の育ち、食へのこだわり、食に対する喜びがよくわかる漫画である。自分の作った料理を「美味しい」と言ってもらえる喜びと、たくさん美味しい料理を食べて嬉しいという両者の幸せが垣間見えて読んでてほっこりするのだ。

原作者・ゆざきさかおみ『作りたい女と食べたい女』第1巻より

読み進めていくとこれはただのグルメ漫画ではないことがわかる。大人になればなるほど、利害関係を生まない純粋な気持ちで分かち合える友人のほしさがよくわかる。

『作りたい女と食べたい女』は最初、家で食事をする関係だったのだが、のちに2人で遊びに出かけたりする。

原作者・ゆざきさかおみ『作りたい女と食べたい女』第1巻より

食の関係を通じた大人の女性の友情を描いている。百合漫画は置いといて、女の友情を描いている漫画が珍しいと思う。

海が走るエンドロール

夫を亡くし、未亡人となった茅野うみ子(65)は、数十年ぶりに訪れた映画館で、映像専攻の美大生・海と出会い、うみ子は65歳にして一念発起して美大の映像専攻に入学する。

誰しも新しい環境に踏み出すには勇気がいる。
若気の至りで踏み出せることもあるが、年齢を重ねれば重ねるほど多角的に物事を考えリスクを回避したくなり、踏み出すことを躊躇してしまう人も多いのではないだろうか。それなのに65歳を過ぎ美大生になったうみ子の行動力は、読む人に勇気を与えてくれる。

原作者・たらちねジョン『海が走るエンドロール』第1巻より

作中において、タイミングが訪れた表現として、うみ子の足元に波が押し寄せる描写があるが“船を出す”というセリフに結び付く重要なキーとなっている。瞬間的意欲というのは誰しも感じることがあるが、そこから先に進むかどうかはとても難しい。やりたいやりたいっていいながら、やるかやらないかは船を出せるかどうか、だ。

そんなエモい漫画だった。

天井を見つめながら考える夜だってある

いつもの時間に家に帰って、簡単に食事を済ませ、就寝までの数時間、どのように過ごそうか考えても最近なにも思いつかない。空虚な時間がただ流れているだけで愚の骨頂。

「丁寧な暮らしってなんだよ」

そう呟いた。この間記事で書いたばかりなのに。


蘇る22:00、月明かりが照らす部屋に溺れる夜もある。こぼれ落ちる僕の体は宙を浮いていた。あいまいな言葉で救われる未来なんていらない。

こうならないために、自分の時間を大切にしよう。というより、何もかも暑いのがイケナイのだ。

もう少し、自分に優しくなりたい。今のあなたも十分素晴らしい人間だよ。君はそのままでもいい。誰かがそう言ってくれる人がいれば。僕はまた大海原に船が出せる。気がするんだ。

さて、明日からも頑張ろう。

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