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「ふるさとを定義しよう」


 “ふるさと”という言葉は、単に生まれ育った場所を表す言葉ではない。

 “ふるさと”とは、精神的なよりどころを表す言葉であると僕は思う。

そして、精神的なよりどころとは、『居場所』であり、多くの場合『人』であると思う。


高校時代、苦労する時期があった。
当時の自分は、とにかくプライドが高くて、
他の誰に何を言われようと、ひたすら己を
貫き通す性格だった。
だけど、実はそれは表向きだけ。

自分が間違っているって気づいていても、
その間違いを認めたくなくて、「自分のせい」ではなく、「環境のせい」にしていた。それどころか、そんな自分を誇らしく思っていた。

笑われるかもしれないが、「俺の育った地元ではこれが普通。ここで俺が折れたら俺だけではなく地元の仲間の顔に泥を塗ることになる。」って本気でそう思っていた。

高校時代は親元と地元を離れて寮生活をしていた。
入寮して間もない頃から一番自分を理解してくれてた友人は窃盗で退寮になった。
正直、そんなことするやつじゃないって思ってたから裏切られた気持ちになった。

ラグビーでも挫折を味わった。
高校2年次は北海道選抜のレギュラーとして全国大会出場した。しかし、高校3年次にはケガでもスランプでもなく、実力不足で選出されることはなかった。その理由は、『慢心』であったことに間違いない。

プライドも何もかもがズタボロで
本当に本当に悔しかった。

そんな中、僕の精神的なよりどころになっていたのが中学時代を過ごした岡山の人たちの存在だった。

強がってるわりに、繊細な僕は岡山の人たちにいつも相談していた。

そうすると、「そんなんどーでもええがん」「早よ帰ってこいや」「そいつボコせ」って言ってくれる岡山の人たちが大好きだった。言葉は汚くても、自分の味方に立ってくれる仲間の存在が心強かった。

そんなふるさとのおかげで、挫折や困難な状況を乗り越えることができた。

その後、札幌にも信じてついてきてくれる人たちが現れた。いや、その時にようやく気づいたのかもしれない。

少し敵を作ると全員敵に見えることがあるが、
決してそんなことはない。

それに気づいた時は本当に嬉しかった。
そして、その人たちのおかげで、強がることなく、
等身大の自分で生きようと思うようになった。

札幌を離れて3年が経つ今、札幌もふるさととなり、精神的なよりどころとなっている。

大学入学後は、周りに恵まれすぎている。
本気で語り合える友人、こんな先輩になりたいと憧れるような先輩、ついてきてくれるかわいい後輩。
関西の人と波長が合うのだろうか。でも、関西だけじゃなくて変わらずに仲良くしてくれる岡山や札幌の友人もいる。これほどありがたいことはない。

これは、周りのみんなのお陰と、
札幌での失敗とそれを乗り越えるために助けてくれた人たちのおかげである。
もし、あの時がなかったら今の自分はない。

これまで僕はこれまで多くのふるさとに助けられてきた。でも、あと1年もしたらここからも離れるわけで。今後、社会人になるとき。つまり、関西を離れる時に、またふるさとが増えるといいなと願いながらここに今の想いを綴っている。

最近、雑誌の制作で文章を書いているうちに、ここでの生活ももうすぐ終わるんだなって考えるようになった。終わってから後悔しないように今を楽しもうじゃないか。

それと、少し。いや、かなり気持ち悪いけど、
自分には夢がある。

それは一人でも多くの人のふるさとになること。


今は周りに救われてばっかりの人間だけど、
いずれはみんなを支えられる人間になりたい。



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