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もののけ姫 - 風の谷のナウシカ

「もののけ姫」1997年

劇場で観てきた。
改めて、丁寧で、乱暴で、良い映画だなあと思いました。

そなたは美しい、とアシタカはいうわけですが、アシタカ自身が非常に美しく、気高いわけですね。
気高さの源は覚悟であるのかなと。そういうことを考えながら観ました。

エボシの色気にも通じますが、あーだこーだグチャグチャ考え悩むのではなく、そういうドロドロの時期を過ぎて、自分はこういう生き方をするのだ、と覚悟を決め、背筋が伸びている。それが活力となり色気となるのだと思う。

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はやおの外国でのインタビュー

――エボシは善悪がはっきりせず観客にとってショッキングなキャラクターです。どうして彼女をクリエイトしたんですか

「ものすごく深い傷を負いながら、それに負けない人間がいるとしたら、彼女のようになるだろうと思ったんです」
「彼女は自分の意思の力で、神を殺します。あそこに出てくるジゴ坊って連中は自分の手で殺すのを恐れています。人に殺させようとする」

――サンとアシタカが結婚する、みたいなハッピーエンドじゃないですよね。それがこの映画のストロングポイントのひとつだと思います。二人が一緒にいられない、というのは悲劇なんでしょうか

「いえ、彼らはそのあとずっと良い関係を続けるだろうと思います。サンが生きていくためにアシタカはいろいろな努力をするだろうと思うんです。同時に、たたら場の人々が生きていくためにも大変な努力を払うだろう。そのためにアシタカは引き裂かれて、傷だらけになるだろうと思いますが、それでも彼はそれを曲げずに生きていこうと思って、両方を大切にしようと、思い続けるだろうと。だから、彼の生き方は私たちがいまの時代に生きていく生き方に、共通するんだと思います」

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アシタカのかっこいいところは、自分の身に降りかかった呪いを解くことを中心に置いてないとこですかね。
それはそれで悩みのタネではありますが、アシタカは
「どーして俺ばっか苦しい思いをしないとならないんだ」
「どーして、どーして」
とグチをたれない。
「どーして、why」というのは、問いかけというよりは、グチなんですね。解決しようというよりは、ワイがどれほど苦しいのか共感してほしい、という泣き言に近い。
それはそれでよく、人間は泣き言を垂れ流してそれでも這うように生きていくわけですから。
だからエヴァとかはそういう「共感」って部分でファンがいるんだろうし。

アシタカはwhy、whyと愚痴るのではなく、howと問いかける。
森と人間が共に行きていく方法はないのか、と何回かセリフでいうんですけど、
なんでだよ、
じゃなく
どうしたらいいか、
って考える人のほうが、やっぱかっこいいよなあ、と個人的には。

そんなかっこいいアシタカですが、モロは容赦なく、おまえにサンが救えるのか、と問う。
カッコつけるんなら、具体策だしてみろ、という厳しい上司みたいなやつやな。
返事がまあパーフェクトで
「わからん。でも一緒に生きることはできる」
というね。

また、アシタカの覚悟ってのが、とてもしびれる理由が

俺は森と生きる!

でも

俺は人間の味方だ!

でもなく、

死ぬまで森と人間の共存を追求してやる、絶対にだ

というなんというか、安易に決断しないことを覚悟する、というんでしょうか。

昨今の右左議論や、人種差別、そういうものにも感じることですが、どちらかが正義で、どちらかが悪、と、身を委ねてしまうことは簡単です。

そういう、安易な決断を、しない、という決断なんですね。

これがまたしびれますね。

***

これはやっぱアシタカの物語で、
サンは助演、なんですね。

鈴木敏夫が勝手に「もののけ姫」というタイトルにしてしまい、それは売り物としては大成功なんですが、中身とタイトルが合ってない、という不幸を背負ってる作品ですね。

ファンメイド予告編

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「風の谷のナウシカ」1984年

なんどめだナウシカ
という感じですが、

先週、人生何度目かのナウシカを映画館で観てきました。

ジブリ作品の中では、そこまで愛しているわけじゃない作品なんですけど、なんででしょうね。

やっぱ説教臭いからでしょうか。
あと、明確なストーリーってのがあんま無くないですか?
途中で寝てしまうんですよね。

今回もやっぱり、うとうとしてたら、ペジテのアスベルを助けるシーンになって、へんな空飛ぶムカデみたいなのから逃げたら腐海の底に落ちて、
それがなんか人間が汚くした世界を腐海が綺麗にしてる、泣けるやん、みたいなとこで
「あ、そうすか、へえ」
的に白けてたら、またうとうとして

気がついたら、オームの群れが赤くなって進撃してて
先頭に子どもオームを串刺しにして引き寄せてるやつがいて
ナウシカがそれをみてブチ切れるわけですけど、

そら、ひどいやろ、と。

なんてひどいことを!

みたいにナウシカはいうわけですけど、そんなこと言われても、ナウシカ素晴らしい!ってならんですわな。ひどいもん。

でもまあ、串刺し子オーム発見前の

「シリウスに向かって飛べ!」

というセリフは何回聞いてもしびれますね。
かっけえ、かっけえっすよ。

個人的には映画ナウシカでは
この
「シリウスに向かって飛べ」から、子オーム見てブチ切れ、単身ガンシップからメーヴェに乗り移るシーンがいちばん胸に来ます。

わざわざガンシップ内の部品を引きちぎってそれを道具として使ってメーヴェに移動するわけですね。
かっけえよ。

そのあとはまあ、そうなるやろな、という展開ですから、いちいち感動することは無いんですけど。

映画においては、
キャラが空さえ飛んでいれば満足、という性癖の私ですので、ナウシカについては、愛は薄いですが、嫌いではないんですね。
飛んでますから。

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「マンガ版ナウシカ」を読んだ身としては、はやお的にはいろいろ苦渋の思いでつくった映画作品なんだろうな、と思います。
マンガ版ではナウシカは巨神兵の母になるわけですが、アニメ映画版ではクシャナが母みたいなもんすかね。しかも文句言われてるし笑
「腐ってやがる」
という有名なセリフももらった、かわいそうな巨神兵

マンガ版ナウシカを読むと、
宮崎駿という資質が、マンガ向きではない、ということがひしひしとわかります。
字だらけでめっちゃ読みにくいし、躍動感も無い。
コマを割ってそこを活劇にしていく能力は持ち合わせてなかったのだと思います。
マンガの世界では手塚治虫にはどうやっても勝てない、そういうことを自分でも感じて、アニメの世界へと進んだんでしょうか?

そのむかし、宮崎駿は手塚治虫がアニメに興味を持ち、アニメ作品を作ることを、すごく批判してたそうですね。
手塚治虫は手塚治虫で、マンガの神様であって、アニメの神様ではなかったのでしょうね。




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