見出し画像

【#2023生きる力】「自然」だけで育む生きる力と文明という「自然」の中で育む生きる力と

とある小学五年生の男子と話したときに思ったことを書いていく。

「子供が夜出歩くって危ないよ」

子供だけで夜に出歩く恐ろしさに正直ピンと来ていなかった。

というのも、僕が小学校2年生くらいの頃には小学校で開催された夏祭りに、夜であっても子供だけで行ってたからか、子供が夜に街を出歩くどころか、子供だけで夜に遊びに行く機会がしばしばあったからだ。

でも、彼と僕の育った環境に大きな違いがあることを感じた。

その違いは、彼と僕のいた地域によるものではないかと考えた。

都市部の遊びと郊外の遊び

小学生の頃、僕は福岡市に暮らしていた。

住んでいた場所は九州の渋谷こと天神まで自転車で20分ほどの距離で、自転車で5分くらいの距離には当時はまだ存在していた九州大学六本松キャンパスもあったし、地下鉄あったし、バスも山手線感覚で走っていた

つまり、一般的に考えると都会暮らし。地元・城南区の立ち位置は東京で言う世田谷区みたいなものだろう。

一方、小学五年生の彼は地方都市の郊外に住んでおり、バスも1時間に1本あるかどうか。

詳しいことはよくわからないが、友達と遊ぶとなると近所の公園や公民館くらいで、都会的な遊びをするにはどうしても親に車を出してもらう必要がありそうだ。

切符を買える小学3年生と切符を買えない小学6年生

18きっぷ遠足をする際、子供を自宅に前泊させることがしばしばある。

うちの最寄駅は徒歩7分くらいのところにあるが、大阪方面に向かう電車に乗るためには一つ先の大きな駅に行かなければならないため、SUICAを持っていない場合は駅で切符を購入する必要がある。

とある小6男子を家に泊めた際、彼は切符の買い方がわからないどころか、自動改札に立ち往生していた。

一方で、小学3年生の男の子と18きっぷで一緒に旅をして、新大阪駅で解散した後に、彼は1人で切符を購入し、1人で御堂筋線に乗って家に帰っていた

その小6の彼が特別なのではないかと思ったが、別の小6男子を泊めた際にも同様の動きが見られた。

そんな彼らの共通点は四国の田舎で普段暮らしていたことだった。

そこには当然電車がない(汽車はある)どころか、バスもほとんどない。

もちろん車生活なので、先の小学五年生以上に子供だけで遊びに行ける範囲は限られているだろう。(ちなみに、例の小五男子は切符を買えていたし、自動改札もなんなく通れていた

文明で育まれる「生きる力」

僕の思う生きる力は「自分でもいけそうだ!」を実行できる力だと思っている。

人から指示をされなくても、今やるべきことを、目的を達成するためにやれること自分自身で考えてそれを実行に移せる力。それはどんな環境であっても、自分なりの方法で生きていくことができる力とも言える。

当然ながら、これを身につけていくのは非常に難しいし、大人でも身についている人はごくわずかだ。

逆に考えれば、生きる力が大してなかったとしても、それなりに生きていけている理由について考えるべきだと思う。

言ってしまえば、僕らは自分で食料をつくることをしていないし、自分でエネルギーを作っているわけでもなければ、家電を作っているわけでもない。

お金という対価は必要であれど、自分で獲物を狩りに行かなくてもよければ、DIYで家を0から作ることもしなくていい。それらのものを作ってくれている人に養われている状態だ。

そして、現代文明最大のチートアイテムがスマートフォン。わからないことがあればgoogleで検索すればだいたい出てくるし、難しい乗り換えもすぐに教えてくれる。道がわからなければマップをひらけばいいし、逸れたとしても通話や位置情報共有で簡単に見つけられる。

そんなスマホは小学生を大人並みの知能に引き上げてくれる最強アイテムなのだ。

それらがある前提だと、現代文明の中における生きる力には情報やデジタルデバイスをうまく活用する力も追加されるだろう。

都市はそれらの存在を前提に設計されており、そのために多量の人類を受け入れることができるのだ。しかし、それらを前提に設計されているからこそ、それらを使いこなせない人間にはトコトン冷たい側面もある。

一方で、地方都市や田舎、限界集落ではそれらの導入がかなり遅れているからか、情報やデジタルデバイスを活用できなかったとしてもなんとか生きていける環境にある。(当然、それ以外にも必要なスキルは存在するが)

すると、幼少期から大量の情報やデジタルデバイスに触れながら生きる都市の人とそうでない人の間で「文明の中で生きる力」の格差が出現するだろう。

現代の必須スキル「ゲームチェンジ」

ビッグモーターの一連の騒動を見ると、ちゃんとしてそうな所であっても、実態はかなり危ない場所はまだまだ隠されているだろう。闇バイトに関しても、冷静に考えれば逮捕されて人生台無しになるというのに、実行に移さざるをえない状況に追い込まれる。

そんな場所に間違って踏み入れてしまったときには、きちんと逃げなければならないポケモンからモンハンに移行するように、別のゲームを開くという意味での「ゲームチェンジ」のスキルだ。

「自分の居場所を自分で選び・作り・離れることができる力を育む」ってことでかれこれ約10年活動してきたので、何度も言っていることではあるが、「異世界転生もののように、舞台が変われば、求められるスキルも変わっていくので、合わない所で辛抱するより、自分が強く出れる所でやっていこう!」を常に大事にしている。

都会の良いところはそういったゲームチェンジが起こしやすいところだ。

例えば、僕自身の高校時代を例にあげると、学校が合わなかったり、家庭が空白だったりしたために半鬱状態になっていたため、学校外の人と積極的に関わることで自分の人生におけるゲームチェンジを果たした。

具体的に言うと、演劇部の部長をやっていたため、その肩書きをうまく使って他の高校の演劇部との合同公演などをやっていったり、当時ハマっていた戦場の絆というゲームを通じ、そのSNSでのオフ会に行ったり、開催してもらったりした。


学校では文化部である手前、スクールカーストの底辺にいることになっていたが、スクールカーストの存在しない世界に行って、同世代や異なる世代との交流をしていったために、自己をギリギリで保つことができたと思っている。

イオンモールに娯楽が集中する地域に「逃げ場」はあるのか?

しかし、こうやって書いてみると僕は実に恵まれていると思う。

まずは時代に恵まれていた。

当時はmixiや趣味で繋がるようなタイプのSNSの全盛期(ちなみに2011年)で、比較的いろんな人との交流を持ちやすかった。Facebookの登場でこの傾向は落ち着いたものの、体感2016頃まではSNSの時代が続いていた。しかし、今や高校生がSNSをやっているのはかなり稀だし、僕らの見える範囲ででしゃばる子たちも随分減ってきてしまったように思える。

コロナ前だからゲームセンターも存在したし、ゲームセンターならではのゲームも多数存在した。なので、ゲーム仲間とリアルな交流をすることができたが、今ではそんなゲームはかなり貴重になっている。

次に地域に恵まれていた。

前述の通り、僕の育ちは福岡市の中心部に近いエリアだ。天神や博多から終電を逃した際に歩いて帰ることもある。その程度の距離だ。

九州の人間はとにかく福岡に集まる。県庁所在地の人口ランキングにおいては6位(163万人・2023年現在)と九州という辺境にしてはかなりの大健闘をしており、さらに世界一便利な空港を有していることから、さまざまなIT企業の支社が多く存在している。(僕は圧っっっっっ倒的に名古屋の方が都会だと思っているが)東京・大阪に次ぐNo.3のポジションにいるような地方都市だ。

高校演劇部は市大会からのスタートであるため、他校の部員とは天神で交流できていたし、そもそも仲の良い学校が天神にチャリでいけるような場所ばっかりだったので交流が容易だった。

そのため、前述のゲームセンターもあるのは当然ながら、地元劇団も数多く存在したし、海も高校から徒歩5分とかだし、福岡の下北沢と呼ばれる西新駅が高校の最寄駅だったりで、奈良や和光市に住んでいたことを考えるとかなり都会エリアに近い場所に住んでいた(西新までは自転車で5分、歩いて15分)

つまり、親や学校が交流を想定しないコミュニティへのアクセスが容易だったということだ。

しかし、僕はこうだったが、田舎や地方都市に住んでいる彼らはどうなのだろう?

ゲームセンターもなければ、オフ会にアクセスする術もない。

よその学校との交流の機会もかなり少ないし、そもそもリアルな対面のコストが非常に高い

イオンモールで新しい友達をゲットするためにナンパしようと思うのはかなりのコミュ強だろう。

そもそも、イオンモールに彼らの受け皿となりうるコミュニティは存在するのか…?

18きっぷ遠足の中で、どこかで必ずコミュニティとの接点を持たせるワケ

ご存知の方も多いが、僕はたまに子供たちを引き連れて長距離の鈍行列車旅をしている。

前々回の広島旅行の際には広島の子ども食堂、前回の東北一周旅行の際にはゲストハウスやギルドハウス、そしてデュエル・マスターズの大会への参加。

そして、旅のレポートを見てくれればわかるが、積極的に旅先で出会った気になる人に声かけをしている。

自分の好きなものを好きな人が他にもいるってことを知ってほしい。学校じゃない場所にも君の友達になり得る人たちがたくさんいるのを感じてほしい。

知らない人に勇気をもってはなしかけてみることで、今までにない体験に出会えることを実感してほしいがためのアクションだ。

もちろん、スケジュールをギッチギチに決め、然るべき施設にお金を払って見学するのはできるけど、そんな旅は面白くないのである

全て大人の予想の範囲内で終わるような旅より、予期しないことに出会える旅の方がいいじゃないか。


なお、次の18きっぷ遠足は冬休みを予定している。興味のある人は今のうちにグループに参加しておいてほしい!

オープンチャット「2024冬の18きっぷ遠足」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


子供は良くも悪くも僕らがいる時代の流れを体験していない。

彼らは自分の知らないことやわからないことに関して、すぐに反応してくれるために、彼らをよく観察していると実にいろいろなことを考えるきっかけを生める。

僕に子供を預けてくれる保護者のみなさまがどう思っているかはよくわからないけど、壁の中で育まれる生きる力も大事ではあるが、壁の外で生きる力は誰も教えてくれないよなと思った。

一緒に壁の外に飛び出して遊んだ子供たちは、今日も元気に遊んでいるような。





最後まで読んでくださってありがとうございました! サポートもらえると、テンション上がって更新ペースが上がるかもしれません。