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「スキされたからお返しにスキする」なんて意味わからんよね

 今日は免許を更新するため免許センターに行ってきた。愛知県の免許センターはどこも立地が悪く、行き来するだけで一苦労だ。そして、やっとこさ到着しても鬼のように待たされる。おいおい、これだけで一日が終わるぞ。いつか自動化してインターネットで二十四時間更新可能にしてほしいものだ。
 それと自動車講習って重すぎる。講師の方がどれだけ冗談を言おうとも誰も笑わないし、なんならリアクションすらない。十数人の老若男女が不機嫌そうに講師を見つめるだけだ。デスゲームのルール説明中かな?
 この空気は非常に良くない。これではつまらない講習をどうにか楽しくしようと努力するおじさん講師が居た堪れないじゃないか。声を出して笑うのは憚れるため、私はせめてと思って口角を少しだけ上げた。心ばかりではあるが、お返しになっただろうか。

 お返しといえば最近悩み事がある。
 私は駄文を投稿した後に、ご褒美がてら他の人の記事を読む習慣がある。そこには私には出来ない経験や、考え方が書いてあって面白い。興味深い。すごい。そう思って最後に、「スキ」を押す。
 しかし、この投稿後に撒き散らす「スキ」が、もしかしたら人を不快にさせているのかもしれない。これが最近の悩みである。
 というのも、この「スキ」がみようによっては「新しいの書いたよ!あなたの記事もスキしたからさ、もちろん私にもスキ押してくれるよね? ちゃんと読んでね。……見てよ!ねえ!おい!」という意味にとれるのだ。むしろ、そうにしか見えない。側から見ると滅茶苦茶イタいし不快だ。
 だが断じて違う。私は一字一句しっかり読んで気に入ったから「スキ」を押している。だから、そうではないのだ。本当に。ただ丁度「お返しのスキ」を求めているようなタイミングで押しているだけで、誤解なんだ。本当なんだって!信じてよ!ねえ!おい!

 私は「スキ」を押してくれた方の記事を読むことも多いが、それはお返しではない。今まで認知していなかった方の人生や、思ったことを知りたいから読む。そして、好きだから「スキ」を押す。スキしてもらえたら、また新しい記事に出会えるからワクワクする。
 もちろん、私の記事に「スキ」を押すのも、記事を気に入った時だけで構わない。読んでくれるだけで嬉しいので、見返りなんていらない。
 でも、お返しで「スキ」しないとえもいえぬ罪悪感が湧く気持ちもわかる。日本人はお中元やお歳暮、年賀状など、所謂「お返しの文化」が年々減少しているとはいえ今も強く根付いている。それはnoteや他のSNSにも影響し、「いいねしてもらったんだから、私もしないといけないな」と考えるのは至極当然だろう。
 そういえばホワイトデーも日本が産んだ文化らしい。バレンタインは西洋の文化なのに、お返ししないと気が済まないからホワイトデーを作ったなんて、日本人っぽさが滲み出ていて面白い(もちろんお菓子業界が一枚噛んでいる可能性はある)。

 まあその文化が根付いているおかげで、私が無言の脅迫をしているという誤解が生まれるわけだが、どうにかこの記事をもって弁明とさせていただきたい。
 私の「スキ」は「尊敬しています!」と捉えてもらって差し支えない。本当に感心しているのだ。いつも良質な記事をありがとうございます。人生が潤います。
 ふう、やっと言いたいことが言えた。今後も投稿後にいろんな記事を読むつもりなので、言えてよかった。
 もしも私の「スキ」の通知に対して「お返しをしないとな」と思うことがあったら、代わりに少しだけ口角を上げてほしい。私とおじさん講師にはそれくらいで十分だ。


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