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キミの人生はキミじゃなくて、他人が決める。


チャンスはキミが作るんじゃない。他人が持ってくる。

高校生のキミは、これからの進路を色々考えるだろう。自分のやりたい方向、個性、世の中の流れなどを考えて、就職や大学進学を考えていることだろう。

この連載では、これまで積極的に戦略をもってこれからの人生を歩め、的なことを言ってきた。今日は、その正反対のことをいう。

人生をあれこれ考えず、人まかせにしろ。

以前にも話したかもしれないが、僕は弁護士になりたかった。それが頭にありすぎて、大学で法曹受験サークルがないと知るや専門学校に通い、教養科目なんて無駄だと受けなかった。結局は司法試験の受験もせずに、中途半端な大学生活を卒えた。

意思が弱く、能力がないせいなのだが、あまり自分の方向を20歳くらいで決めないほうがいい、という考えをそれ以来持つようになった。

その後、経営学の方に進み、経営学って戦略的な考え方だから、どうしても合理的になにか達成するという方向に流れる。そうすると、まず、目標だとか、方向性を決めるという発想になっていく。

それ以来僕の中でも、決めないほうがいいのか、決めたほうがいいのか、この二者択一が常にあった。

僕の今の結論は、決めないほうがいい、だ。

あえて人生の目標とか、目的、やりたいことを決めてそれに一直線に進むのは、かえって自分の可能性を狭め、結局キミの個性を殺し、不幸にする。そういう極端な考えを持つに至ったのだ。

目標をもって計画的にそれに取り組み、見事成功。それは素晴らしいに違いない。

しかし、その間、やりたいことがでてきたらどうする。なにかキミが目指しているジャンル以外から、オファーがかかったらどうする。ラジオのDJやらないか、モデルにならないか、一緒に起業しないか、などだ。

目的意識が強すぎると、ことごとくこういうオファーを蹴飛ばし、脇目もふらず自分が決めた目標達成に邁進する。

結果、弁護士になる、会計士になる、教授になる。それもいいかも知れない。しかし、キミが無視した機会の価値はどうなる。

人生は意思でなく「縁」で決まる

実はここに人生の真実がある。

それは人生を決めるのは、キミの意思ではなくて「縁」だということ。

最初っから自分の人生の方向はこれだ、ってやっても、うまくいかないことのほうが多い。

なぜならば、そこに「縁」がなかったからだ。

縁は偶然を装ってやってくる。友達が声をかけてくる、一枚のチラシに目が止まった、いつもは見ない新聞を広げたらハッとする記事があったなどなど。

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しかし、キミの心が動いたなら、それが「縁」なのだ。

それに突き進むべきだ。いままでやっていたことを捨てても、いい。

幸せは他人が持ってくる

真面目なキミに限って、真剣に人生を考える。冒頭言ったように、自分は何がやりたいのか、何になるべきなのか、職業はどうすべきか。

才能が際立っていれば、本人も絶対迷わないんだ。漫画がうまい、スポーツが飛び抜けている、アニメ以外好きなものはない(好きも才能)。

こういう場合、それは情熱という才能も加味されるから、成功するだろう。失敗しても失敗じゃない。やりたいことがそれしかないのだから、それにトライするだけで成功と言える。

しかし、そうじゃなければ、いま高校生のキミが、これが俺の人生だ、私はこれしかない、と決めつけないほうがいいのではないだろうか。

必ず、他人から声がかかってくる。
「お前、これに向いてるんじゃないの」
「これやらない?」
「お前、これできない?」

それは適当に声をかけたんじゃないんだ。
キミの才能を、特性を他人は見抜いているんだ。
キミよりもはるかに鋭く。

他人の声に従え。

僕のつたない例をあげてみる。

アメリカ留学は新聞記事との「縁」

30の時、アメリカ留学をした。

これは日経新聞に掲載されたある小さな囲み記事に目が止まったのがきっかけだった。

「アメリカで大学生に日本語を教えませんか。大学院の学費免除、生活費も免除します」とあった。これも他者からの声だ。怪しいなと思いつつも、応募。

選抜試験に合格し、会社をやめた。約3年ウィスコンシン州の大学で日本語を教えながらなんとかMBAを取得し、その後ロスアンゼルスで就職した。

MBAは憧れていたが、実際にそれを取りにアメリカ留学するつもりなどなかった。たった一つの小さな新聞記事との出会いが、人生を変えたのだ。

その後経営コンサルタントを目指し、専門学校に通ったのだが、そこでであったT氏から、「キミは大学教員になるべきだ」と諭され、日本の大学の博士課程に進んだ。経営コンサルティングの道はあきらめた。

自分の意志のない人生

とまあ、自分の意志などはどこへやら、で、現在、大学教員になっている。

専門を選ぶのも自分の意志ではなかった。

偶然担当になった人物の専門がHRM(人的資源管理)だったので、そうなったのだ。

プロレスの経済学という本を書いたのも、「書かないか」と言われて書いただけだし、

アントニオ猪木最強の戦略という本も、あるところで偶然猪木氏に会って、書いてくれと言われたので書いたのだ。

いま僕は新潟プロレスというプロレス団体で、団体の機関誌新潟プロレスマガジンの編集長をしているが、これも偶然新潟で働いていたときに、現在の団体のエース・シマ重野と知遇を得たことがきっかけだ。


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そう、今の自分は、自分の意思なんて、これっぽっちも働いてないのだ。

もし、自分の今も当時も拙い頭で、世の中のこともろくに知らない、自分のことすらおぼつかないこの僕が、目標とやらを作って、それ以外脇目もふれずにそこに到達しようとしたら、どうなったろうか。ろくなことになってない、はずだ。

考えてみれば、今の仕事は自分にあっていると思うのだ。

イランの話が来たよ。やるって。

さて、昨日こんな事があった。

来年の1月に、イラン人の企業幹部に英語でHRDの講義をしてくれないか、という依頼だ。

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HRDって、Human Resource Development (人的資源開発)というジャンルで、人の教育を通じて組織をどう強くするかを追求する学問体系なんだよ。

ああ、これは来たな、と思った。

これは乗らなきゃ、と思った。
これが他人が自分の人生を動かす例のやつだな、と思った。

イランと言えば、20年前に僕はイランに渡るはずだったんだ。

イランの国営企業ホドロ自動車っていうところに招かれて、コンサルティングの仕事に携わることになっていたのだ。

しかし、間に入った業者の都合でドタキャン。アメリカ、イランの国交が悪化しているのが理由とも取り沙汰された。

イランに縁があるんだろう。今度こそ、このリベンジなのかも知れない。

HRDは専門ではない。

でも今日からしっかり勉強し、英語でまとめ、しっかり準備する。

アラビア語も明日からやる。このビジネスが拡大し、イランに招かれるだろう。イラン国家自体の外交戦略も立案し、論文に書くよ。

いいんだ、こんな妄想。

他人からこういうふうにオファーが来たら、まずその気になることだ。
そして、すぐに準備を始めて徹底的にやる。

キャンセルになったって、なんのことはない。

十分勉強になったし、何よりも、新しい自分を開発できたのだ。

自分の好きなこと、目標、戦略などにこだわっていたら、こんな事はできない。

人生とは、絶え間ない自分の可能性の追求のことだ。

自分が考えた、ひとりよがりの戦略の致命的な欠点は、発展性がないということだ。言い換えれば、キミの可能性を活かせてないプランだということだ。

いや、これは最高の戦略学者が出したプランでも同じだ。科学でキミの可能性を開発することなど、できない。なぜならば科学ではキミという不可思議な存在を、言ってみれば可能性を理解できないからだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

自分にこだわるが故に、それ以外の可能性が見えない。それが見えるのは他人の目や、「縁」という異次元から来る運命の力である。

さあ、もう力を抜いていい。

今日も最後まで、読んでくれてありがとう。
明日また、会おう。
やっと光回線つながったよ。

                             野呂 一郎

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