見出し画像

36年前の自分と会う。


■湘南・鵠沼海岸の小さな映画館

パンは、「Desture」の自家製天然酵母“ぱん”

ズッキーニとベジコ(野菜パウダー)の
ポタージュスープに
天然酵母パンの軽食を
食べ終えた私は、
返却口に食器を戻すと、
奥のロビーに戻った。
       *
小田急江ノ島線「鵠沼海岸」駅から
徒歩約3分にある「シネコヤ」は、
わずか22席の映画館。
映画雑誌をはじめ約3千冊の本も読める
ブックカフェが併設され、
飲食をとりながら待つこともできる。

「映画館でもミニシアターでもなく”シネコヤ”」とオーナー


       *
上映開始まで、まだ20分ほどあったので
改めてテーブルの背後に目を移すと、
そこには、創刊105年を迎える
映画雑誌「キネマ旬報」が
ぎっしりと年代順に並んだ
書棚がそびえていた。

■ロシアンルーレットの先に

一冊一冊がぴったりと身を寄せ合っていて、
強引に取ろうとすると破けてしまいそうで、
ためらった私は、
そこに仕切板を見つけると、
ゆっくりとその横にある
1988年「6月下旬号」を引き出した。

仕切板の左が、最初に選んだ号

巻頭特集に「敦煌」とある、
その号の目次を開くと私は迷わず
あるページを探す。
80年代から90年代にかけて年間100本以上、
映画館で作品を観まくっていた私は、
映画評論家も少し夢見ながら、
気に入った映画の評を書いて
毎月、「読者の映画評」に
投稿していたのだ。
その評がきっかけとなって、
当時の植草信和編集長から
本誌の仕事をいただいた
記憶もよみがえった。
        *
しかし、最初に手にした
その号に私の映画評が
掲載されている確率は極めて低い。
私は、まるでロシアンルーレットの
引き金を引くような気持ちで
ページをひらいた。
       *
ページタイトル横に自分の名前がない
束の間の失望のあと、
隣の177ページに
フランス映画「愛と宿命の泉」を評した
自分の名前が、
36年後の私がページをひらくのを
静かに待っていたかのように
記されていた。

カーネーションづくりに
情熱を燃やす男を演じた
ジェラール・ドパルデューの
あの風変わりな顔を
脳裏に浮かべながら私が、
その映画評を目で追っていたとき、
上映時間を告げる声が聞こえた。

こんな感じの出会いだった

■湘南に吹く新しい風

私は、36年前の私の読者評をスマホに収めると、
写真館だった建物をそのまま
活かしたというシネコヤの1階から
2階の上映室へ向かった。
床は赤いビロードに変わり、
アンティークのソファや椅子を並べた
空間マジックに、
36年ぶりの「自分」を見つけた
高揚感がこぼれ落ちそうになる
錯覚にひたりながら、
こんどは
24年ぶりに再会する幼なじみの
男女を描いた韓国出身監督の
「PAST LIVES」の世界に引き込まれた。
二人は小さな頃の思い出を語らぬまま、
心の底で惹かれ合いつつも、
それぞれの、現在の自分へと帰ってゆく。

飲食店をしながら映画を観ることもできる(撮影は上映終了後)


       *
実はその日の朝、私は、
「日本経済新聞」文化欄で、
ブレイディみかこさんの
過去の一時点に引き戻される
人生の機微を綴った
エッセイを読んだばかりだったのだ。
人生には、「こうなるようになっていた」
と思うような
過去との不思議な巡り合わせがあると。
       *
シネコヤを出て、
「マリンロード鵠沼」を歩きながら
どこかでゆっくりと
珈琲を飲もうと思った。
しかし17時を過ぎたその町の
個人営業のカフェはみな
シャッターを下ろしていた。
まるで「明日、」と言うかのように。

上映終了は17時11分だった。

過去と現在を行き交うような
体験が、偶然重なり合う
不思議な一日を思い浮かべつつ、
夕暮れの商店街を
駅まで歩きながら私は、

36年前の「自分」が
今の自分に吹き込んでくれた
新しい風をはっきりと感じていた。

こんな通りのこちら側に、36年後の私がいた。













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?