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古今亭志ん朝の口調で読む芥川龍之介「鼻」(1)。~長い鼻による苦悩

これは、人並み外れて長く垂れ下がった「鼻」を持った僧侶が、
そのコンプレックスに悩み、悪戦苦闘しつつ新たな境地を迎える物語だ。
語り手は三代目古今亭志ん朝、かの六代目三遊亭圓生をして
「将来、三遊亭圓朝を継ぐとしたら、この人です」と言わしめた
早逝の噺家。私が最も大好きな噺家で、高校の落研時代、何度も
“志ん朝落語”を演じていた。私の脳裏に刻まれた、その志ん朝の語りで、
芥川龍之介の「鼻」を綴る。

■その「鼻」とは

 その昔、禅智内供ぜんちないぐってぇ偉いお坊さんがおりまして、この方が、鼻で有名でしてね、住んでおりました池の尾という所で知らない者はいない。何しろこの方の鼻が、長さ五六寸、と言いますから15cmをちょいと超えるほど長かった。これ、想像してみてください、ねぇ。鼻ですから、上唇の上辺りから顋のちょっと下のまで下がっている。こりゃあ、どう見たっておかしいですな。また、その形が、元から先まで同じように太い。まるで細長い腸詰のような物が、ぶらりと顔のまん中にぶら下がってる。こりゃあ、心穏やかでなかったでしょうねぇ。

■複雑な内供の悩み 
 さて、この内供、小坊主の頃から修行を重ねまして、五十歳を越えたところで、内道場供奉ないどうじょうぐぶ、ってぇますから宮中で講師を務めるまでになった。それでもこの鼻ですからね、内心では始終、苦にしてきたんでしょうが、この内供さん、普段は「鼻?何それ」みたいな顔をしてすましてる。何しろ、来世では煩悩のない世界を深く信じるお坊さんですから、鼻の心配なんぞしてちゃいけないと思ってた、ってぇ、そんな訳じゃなくて、どうやら鼻のことを気にしているということを、人に知られるのが嫌だったようですな。それどころか、普通の会話に鼻ってぇ言葉が出て来るのさえ怖れてたようでね。 

■持てあます鼻の長さ
 
この内供が鼻を持てあました訳は二つあったそうで、一つは鼻の長いのが不便だった。そりゃそうでしょうねぇ、第一おまんまを食べるときにも独りじゃ食べらんない。独りで食べると、鼻の先がかなまりかねの器ん中の飯へ届いちゃう。仕方ないから内供、弟子の僧の一人を膳の向う側へ坐らせましてね、飯を食う間じゅう、広さ一寸長さ二尺、いまで言う幅2cm・長さ60cmばかりの細長い板で、鼻をこう持ち上げてもらう事にした。だけどこうして飯を食うってぇ事は、持ち上げているお弟子さんも、持ち上げられている内供だって、容易なこっちゃない。ある日、中童子ちゅうどうじ(寺に仕える稚児姿の少年)が弟子の代わりにこの役目を仰せつかったときに、くしゃみをした拍子に手がふるえて内供の鼻をお粥の中へ落としちまった。こりゃあたいそう熱かったでしょうが、この話は当時、京都まで広まったってぇますから、仏教界にも野次馬が多かったんでしょうなぁ。だけど、そんなこたぁ内供にとって、鼻を気に病んだ理由になんぞなりゃしない。内供ってぇ人は、この長い鼻によって自尊心ってぇものを傷つけられた。それで一番苦しんでいたようでして。

■噂話になった内供
 
池の尾の町の奴らはってぇと、そんな鼻をしている内供が俗世間の人間でないことを「あの人は幸せだよ」なんて言っていたそうでね。あの鼻じゃあ嫁に来る女なんぞいる訳がない、だから、お坊さんでよかったという訳ですな。中にはまた「鼻がああいう鼻だから出家したんだろう」なんてんでね、下手な憶測をする者も出てくる始末で。ところがこの内供、自分が坊主になったお陰で、長い鼻にわずらわされる事が少なくなった、なんてぇことは、これっぱかりも思っちゃいない。この内供の自尊心ってぇのは、嫁さんを迎えたところで治まるような代物じぁあなかった。それだけ繊細に出来ていたんですね。そこで内供も考えまして、強気と言うか弱気と言うべきか、自分の傷ついた自尊心を立ち直らせようと、いろいろな策略というものを考えていたんだそうで。
(続く)


※芥川龍之介の著作権は消滅しています。

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