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古今亭志ん朝の口調で読む芥川龍之介「鼻」(3)。~コンプレックスと向き合う

人並み外れて長く垂れ下がった「鼻」を持った僧侶・内供ないぐ
顛末を描いた芥川龍之介の小説を、二代目古今亭志ん朝の口調で綴る
3回目は、この僧侶が悩みを超えて何とかコンプレックスから逃れようとする姿を語る。

■苦悩する内供
しばらくしますってぇと内供は、内典外典ないてんげてんという仏教や儒教の書物のなかに自分と同じような鼻の人間を見つけて、せめてものなぐさめにしよう、なんてことまで考えた。
しかしねぇ、目連もくれんや、舎利弗しゃりほつなんというお釈迦さまの十大弟子に数えられるような偉い坊さんの鼻が長かった、なんてぇことは、どの経文にも書いてない。もちろん竜樹りゅうじゅ馬鳴めみょうなんてぇ人も、これはもう人並の鼻を備えた菩薩ですな。
そうかと思うってぇと内供は、震旦しんたんてぇますから、いまの中国、この国の話をしてるときに、三国時代の蜀漢しょくかんてぇ国の劉玄徳りゅうげんとくの耳、耳なんですがね、この耳が長かったてぇことを聞いた時にゃあ、
「それがもし鼻だったら、どのくらい俺は心細くなくなるんだろう」
なんてなことを思ったそうで。こりぁ、もう重症ですな。

■長い鼻を短くしたい
さて、この内供さん、長い鼻で悩んでる人を手当たり次第に探すという涙ぐましい苦労をしながら、その一方で、鼻を短くする方法を試みたってぇことは、わざわざ言うまでもありませんな。
内供は、こっちの方でもでもやれる限りのことはしたそうでございます。烏瓜を煎じて飲むなんてぇのは朝飯前でね、鼠の小便を長い鼻へなすってみたなんてこともあったそうですが、これは衛生上、よろしくない。しかし何をどうやっても鼻は15cmをちょっと超える長さのまんま、ぶらりと唇の上にぶら下がっている。
ところがある年の秋のこと、内供の用を兼ねて、京へ上った弟子の僧が、知り合いの医者から長い鼻を短くする方法を教わって来た。その医者というのが、もとは震旦から渡って来た男で、その頃は長楽寺の坊さんになっていたんだそうで。

■京で学んだ秘策
それでも内供は気取ってますからね、いつものように「鼻なんか気にしてないよ俺は」なんて素振りでね、その方法も「すぐにやってみよう」とは言わない。だけど一方じゃあ、食事のたびに弟子の僧が長い鼻をわざわざ板の上に載っけるのを見ながら、「心苦しいのぉ」、なんてんことを言っていた。そのくせ内心では弟子が自分を説き伏せて、京で知ったという方法を試させるのを待っていたってんですから、始末が悪い人がいたもので。
弟子にしたって、内供のこの心がわからないはずはない。それでも、内供に反発するよりも、そんな面倒くさい性格に同情したと言うんですから人徳があったのかもしれません。こうして弟子の僧は、内供の期待に応えてやろうてんで、自分が京で教わった方法を試してみることを何度も何度もすすめた。そうなるってぇと、内供も知らんふりはできませんからね、ようやくこの熱心なすすめに従うことになりまして。
(続く)





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