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続・座標軸 幣原外交編

 戦前の日本において欠けていたO型領域、B型領域を一生懸命埋めようと努力した政治家がいた。幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)である。第一次世界大戦後に外務大臣を長くつとめ、いわゆる「幣原外交」と呼ばれる平和的国際協調外交を展開した。中華民国の不平等条約解消に協力したり、中華民国への内政不干渉を提言したり、あるいは、欧米列強と軍縮条約を結んだりした。しかしそれはまた、「軟弱外交」とそしられ、日本軍部の反感を招くことにもなった。軍部の態度を硬化させ、戦争への道をかえって加速させることになったという批判さえある。
 妥協というと語弊があるかもしれないが、私は、幣原はA、O、Bのバランスのギリギリの線を狙ったんだと思う。A、O、Bそれぞれの意見に耳を傾けるということは、A、O、Bそれぞれから怨みを買う危険性もはらんでいる。最終的にはその危険性から逃れられなかった。国の形は変えられず、A型独占、O型、B型の排除(アメリカから見ればA型独占の排除)という戦争への道を突き進むことになってしまったが、私はその努力を高く評価したい。

幣原外交


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