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⑤【実録】僕たちは、家にいながら旅に出た。(「いつか」の続きは実現するかどうか?)

このnoteは、2020年5月の緊急事態宣言による外出自粛期間中、旅に出たくても出られない旅人の「旅したい欲」を解消したいという思いからスタートした31日連続オンラインイベント『REMOTE TRAVEL〜旅するように家で過ごそう〜』通称リモトラと、そこにまつわる旅の記録です。

「人生とカクテルを作ることは、よく似ているんだ」

2020年5月某日、日付も変わろうかという夜更けのバー。『千と千尋の神隠し』に出てくる釜爺みたいな風貌のマスターが語りはじめた。僕らはそれに耳を傾ける。

「カクテルというのは、作ろうと思えば星の数ほどの種類がある。その作り方の全てを覚えようとしても、それは無理な話なんだよな。」
「でも、このレシピを知らなきゃバーテンダー失格だ、というのがいくつかある。それさえ押さえておけば、その他はわかりません、教えて下さいと謙虚でいれば、それでだいたい大丈夫なんだ。」
「本当に大事なのは、わかっておかなくちゃいけない大切なことが何か、そうでないものが何か、その分別をつけておくことなんだ。ただ、それをわかるのだけもそれなりの時間が必要なんだけどな。」

……めちゃくちゃ良い話だ。マスター、僕お酒飲めないけどこの話どっかで使っていいですか?

おう、使ってくれ!とほろ酔い状態のマスターはワハハと笑い、モニター越しに映った僕らも皆んな笑顔になる。
楽しい夜だ、と僕は東京のワンルームでコーヒーをちびりと飲んだ。


そう、こんな会話もリモートトラベルのワンシーン。
この機会を演出してくれたのは、新潟県村上市にある宿「よはくや」の高橋典子さんだ。

別にバックパッカーでも旅好きでもなかったし、ゲストハウスのこともよく知らなかったという典子さん。
もともと東京でOLをしていたが、Uターンして地元村上市の鮭加工品の老舗に転職。
その時に、観光に来る人と地元の人とのミスマッチに気付き、「普段の村上を楽しんでもらおう」という思いで、2018年によはくやを立ち上げたそうだ。
「宿がよはくで、あなたやまちが主役の場所」というコンセプトで、近所の素敵なお店や人を紹介しながら宿を営んでいる。


リモートトラベルでは、まず宿の紹介をしてオーナーさんのお話を聞いたあと、Zoomの部屋分け機能を使い、テーブルに分かれて座るみたいに参加者同士で交流してもらうのが一連の流れ。

そのあと一度イベント自体は終了するのだけど、そこからもZoomは開けっ放しにする。なので、そのまま残りたい人はだらだらとお喋りを続けるのがいつものパターンだ。大体最後まで3〜4人が残って、深夜まで他愛もない話をするのが5月中のお馴染みの光景だった。
その時間を、せっかくだから近くのバーから放送しよう、というなんともよはくやらしいアイデアをくれたのが典子さんだったというわけだ。


「宿から徒歩30分ならぬ30歩」という場所にあるバー「夭夭亭(ようようてい)」。
暖色系の妖しげな光に照らされる中、3メートルはあろうかという棚にこれでもかと並べられた世界中のお酒の瓶。
それを背にキビキビと動き回るマスターは、御年72歳。本当に前述の釜爺そっくりで、今にも腕がにゅうっと伸びてお酒を取りにいきそうだ。

なんでも約30年前、インドへ一人旅に行くために知り合いからお金を集めてまわり、その経験をもとに自費出版で本を執筆したという。クラウドファンディングという概念もなかったであろう時代。なんともバイタリティあふれる御仁である。

マスターは本当に博識で、それだけでなくお話のひとつひとつがわかりやすくて面白い。深い教養と人としての厚みを感じさせるのに、画面越しにも伝わるくらいフランクで親しみやすい人だった。

その夜僕たちは、日付が変わるまで延々と色んな話をした。お酒の話、地域の話、旅の話、本の話、結婚の話……。結婚の話では典子さんがマスターに「それはもう今の時代違うよ!」とか言ってモメていて、最後にはマスターが「そうだよな、色々変わっていかなくちゃいけないよな」と謝っていた。その様子が本当に仲睦まじそうで、僕らは画面越しにそれを見てニヤニヤしていた。
時折WiFiが絶望的に弱くなって、マスターがすごく熱い話をしている最中に画面が固まるのだけど、「ここで止まるんかーい!」と僕らはツッコんで笑って、それすらがエンターテインメントだった。

深夜も2時になり、流石におひらきにしないとねという頃には、皆んな典子さんとマスターのことが大好きになっていた。代金を払う払わないでモメる酔っ払った二人を見ながら「コロナが落ち着いたら必ずここに来よう」と僕は誓い、いつかまたリアルで会いましょう、と僕らは手を振って別れた。

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あれからおよそ半年が経ち、2020年11月。いま僕は、この文章をよはくやの炬燵の中で書いている。
仕事で秋田県の南端にしばらく滞在することになり、新潟の北端である村上市を訪れる絶好の機会を得たのである。

昨日の夜“はじめて”お会いしたマスターは、予想通りと言っては失礼だけど、お話した内容はほとんど覚えてなかった(察するに結構酔っ払ってたもんな……)。

でも僕が、カクテルと人生の話が心に残っていること、薦めてくれた本を読んだことを伝えたら、キラキラと目を輝かせて喜んでくれた。
俺そんな良いこと言ってた?と、ワハハと笑うその顔を見て、会いに来て良かったと心の底から思った。ここでは語り尽くせないくらい、楽しい夜だった。

この日の宿泊でも素敵な出会いがあって、佐渡島から来たご夫婦と一緒になった。ご主人は中学校の先生で、奥さんはいずれ島の中でカフェをやりたいのだそう。

元々この日は本好きの奥さんが本をオススメするイベントをよはくやで開催していて、厚かましくも打ち上げから飛び入りした僕を、典子さんと一緒に快く迎えてくれた。
二次会・三次会の夭夭亭まで一緒に回り、翌日朝御飯を食べ、お土産に持ってきたという柿を吊るして干した。いつか佐渡にも遊びに行きますね、と僕らはまた手を振って別れる。

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「いつか」というのは、曖昧であやふやな言葉だ。

「いつか」なんて言っていたら実現しないから日程を決めてしまった方が良い、という人もいて、僕も仰る通りだと思う。
コロナも第三波が騒がれ、またしても移動に制限がかかってきそうな今現在、なおさらだ。

「いつか」というのは、ただ同時に、希望の言葉でもあると思う。

本気で叶える気のない軽い言葉ではなく、本当に叶えたい約束。半分こにしたそれを、お守りのように分かち合った相手が世界のどこかにいると思うだけで、ほんの少し心が温かくなる。

「いつか」なんて言っていたら実現しない……でも正確には、「実現しないことがほとんど」である。
事実、僕はリモトラで過ごした立ち往生の5月、オンラインで新潟と繋がった奇跡みたいな夜に、リアルで帰ってくることができた。

結局は、自分自身が行動するかしないか、に尽きるんだよな。


だから。

「いつか」を信じるということは、すなわち自分が自分を信じ続けることだ、と僕は思う。


「いつか」という曖昧であやふやな希望を、もし仮に相手が忘れてしまったとしても、僕はちゃんと覚えている。

そしてその散りばめた「いつか」を、人生という旅の中でいっこいっこ叶えていく。そうやって、僕は旅することを続けていきたいと思う。


*リモトラとよはくやを繋いでくれた旅人いくや君は、2020年11月現在スーパーカブで日本一周に挑戦中です。彼の旅の記録もぜひご覧ください。


*これまでのリモトラのお話


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