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ホンモノの偽物 (リディア・パイン)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

 いつも利用している図書館の「新着本」のリストで目に付いた本です。
 ホンモノの偽物」という気になるタイトルは、私の注意を惹くには十分でした。

 “偽物” をテーマにした著作ですが、対象にしている範囲はいわゆる “贋作” に止まらずかなり広く取り上げているので、その対象ごとに興味深い切り口がいくつも提示されています。

 最初に取り上げているのは、「ウォーホルなしでつくられたウォーホル作品は本物か?」という問いかけ。
 当初から分業制で制作されている版画作品の場合、原版の作者の死後であっても「ホンモノの原版」から刷り上げられたものは「ホンモノ」と言えるのではないかとの指摘はある程度の納得感があります。

 また、「天然ダイヤモンドと人工ダイヤモンド」に関していえば、生成過程は異なるといえども生成物の「化学的組成」は全く同一であれば、両者とも “モノ” としては真正な “ダイヤモンド” でしょう。
 むしろ論点のひとつは、生成過程が “天然”、すなわち人の作為を伴わず自然の偶然の条件下において(奇跡的に)生成されたという「プロセス」に “価値” を置くか否かという点だと思います。「ホンモノの人工ダイヤモンドを “天然ダイヤモンド” と偽ると、それは『偽物』」ということです。

 本書の最後に著者は、こう結んでいます。

(p303より引用) 「ホンモノの偽物」は、いかに、なぜ、どのような状況で、わたしたちは物事を真正だと受け入れられるのか、そして受け入れるべきなのかということを探る機会を与えてくれる。何かを真正だと決めつける前に、あるいは偽物だと否定する前に、そのモノの目的や意図、コンテクストと、わたしたちが何をホンモノとして受け入れるのかについて考えるべきだ。それが重要なのは、つまり、モノのステータスはつねに変化し、つねに進化しているからだ。
 ローマの哲学者ペトロニウスが言ったように、偽物は世界を欺くだろうが、だからといって、わたしたちの「ホンモノの偽物」に重要な文化的歴史や意味がないということではない。

 悪意をもった「捏造」は明確な概念ですが、「ホンモノ」というのは人により抱くイメージ(定義)にかなりの差があるように思います。その間隙に「ホンモノの偽物」が現出するのでしょう。

 こういった著作を読むと、改めて “多様な視点” を意識し、そこから “新たな気づき” を得ることができます。
 欲を言えば、もう少し写真や図版があればより分かりやすかったと思いますが、私にとっては普段あまり意識することのないテーマを取り上げてくれた興味をそそる内容の本でした。



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