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諜報の天才 杉原千畝 (白石 仁章)

 杉原千畝氏(1900年1月1日~1986年7月31日)は、第二次世界大戦前後の時期に活躍した外交官です。
 リトアニアのカウナス領事館に赴任していた当時、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちに対して大量のヴィザを発給し、数千人にのぼる難民を救ったことで有名ですね。

 本書は、杉原氏の研究をライフワークにしている白石仁章氏による「杉原伝」です。
 ただ、その着眼は、「日本のシンドラー」と言われた「命のヴィザ」の発給にかかわるものではありません。本書のタイトルにもあるように「諜報の専門家」(インテリジェンス・オフィサー)としての杉原氏の足跡・功績を、大量の外交文書/電報等をもとに解明し詳細に紹介したものです。

 著者により具体的に明らかにされた「インテリジェンス・オフィサー」としての杉原氏の活躍は、それはそれで興味深いものがありましたが、やはり、私として気になるのは「命のヴィザ」発給にかかわるエピソードでした。
 しかしながら、その点についての記述は、本書の全体のヴォリュームに比するとごく少量に止まっています。
 そのわずかな記述の中でも特に興味深かったのは、「通過ヴィザ」の発給を正当化するために杉原氏がとった奇策でした。

(p169より引用) 当初、避難民へのヴィザ発給をめぐり本省と何度か電報のやりとりをし、発給が認められないことが明らかになると、独断でヴィザを発給しつつ、本省からの指令を守っていることを装う「アリバイ工作」を続けた。・・・
 ・・・八月末までヴィザを発給し続け、その後電報第六七号で「外国人入国令」を拡大解釈してヴィザを発給していることを報告した。これに対して九月三日、本省から避難民の取り扱いに困っているので、電報第二二号の趣旨を厳重に守るようにとの電報第二四号が送られたのであった。
 これにより、形式上、九月三日まで「外国人入国令」拡大解釈の可否をめぐる交渉が続いていたことになる。

 本省から指示されていた厳しい資格要件を如何にしてかいくぐり、少しでも多くの人々へヴィザを発給したか。著者は、ここに紹介している一連の杉原氏の行為を、自己が独断で発給しているヴィザの有効性を担保するための工作だったと解しています。
 事実、この時期に発給されたヴィザを携えた人々の日本入国は果たされました。ともかく杉浦氏のとった超法規的な勇気ある行動が、数多くの罪なき人々を悲惨な運命から救ったのでした。

 ちなみに、先の東日本大震災に関係してこういう記事もありました。
 2011年4月3日時事通信社からの配信です。

「日本は今の苦難を乗り越えると確信している」-。第2次大戦中、リトアニア駐在の外交官だった故杉原千畝氏の「命のビザ」でナチス・ドイツの迫害を逃れた米大手先物取引所CMEグループのレオ・メラメド名誉会長が、東日本大震災に見舞われた日本へエールを送っている。・・・

 杉原氏の英断は、世界のあちこちから日本を見つめる暖かい目となって現在にも生きているのです。



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