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ソクラテス われらが時代の人 (ポール・ジョンソン)

(注:本稿は、2016年に初投稿したものの再録です)

以前、「ソクラテスの弁明」をはじめとして何冊かプラトンの著作を読んでいるのですが、書評によると本書は、プラトンが伝えるソクラテス像にこだわらず “等身大のソクラテス” を描き出したとのこと、これはちょっと興味がわきますね。

 本書で試みられた著者の推論は、ソクラテスと同時代の人物の評伝や彼らが残した著作・芸術作品が語る “当時のギリシャの世相” の中にソクラテスを位置づけ、その人物像や思想の意味づけを明らかにしていくというものです。

 そういったソクラテス像の中から、私の興味を惹いたものをいくつか書き留めておきます。

 まずは、喜劇作家アリストファネスがその作品「雲」においてソクラテスを風刺の対象としたことを捉えて。

(p98より引用) ソクラテスは演劇で自分が攻撃されていることについて、「もしも批判が正しいのであれば、わたしは自分を直さねばならない。もしも正しくないのであれば、気にならない」と語っている。

 もうひとつ、こちらは、よく語られている有名な「ソクラテス裁判」に臨んでのソクラテスの姿勢について。

(p228より引用) 裁判をつうじてソクラテスが一貫して示したのは、自分はアテナイの市民として、アテナイの法律の完全な適用をうけ、それにしたがう義務があるという立場だった。・・・ソクラテスには、真の意味の人間性と、頑固なまでのプライドが奇妙な形で併存していたことを、わたしたちはうけいれるべきなのだ。

 この裁判は、ソクラテス自身、自らの信念を貫徹したことで悲劇的な結末を迎えます。

(p254より引用) ソクラテスが生涯にわたって貫いてきた原則は、悪をなされたからといって、それに悪で応じてはならないというものだった。むしろ悪をなされるままにして、やがては人々がそれを悪であることを認識するようになることのほうがましだった。

 ソクラテスは、自ら悪を甘受することにより、後世の人間に大きな教訓を残したのでした。

 さて、“ソクラテス”といえば誰もが「哲学者」の代表的人物として思い浮かべると思いますが、著者は「哲学者」を2つの類型に区分しています。

(p133より引用) ソクラテスの時代からすでに哲学者は基本的に二種類に分類できた-何を思考すべきかを教える哲学者と、どのように思考すべきかを教える哲学者である。・・・ソクラテスは、どのように思考すべきかを教える哲学者のいわば代表である。

 そして、著者は、「ソクラテスの哲学の方法」をこう要約しています。

(p155より引用) ソクラテスの哲学のやり方は、「よく考えられていない思想から生まれる命題を省察すること」と定義できるだろう。

 この「よく考えられていない」部分を「改めてしっかり考える」ためのソクラテスが説く思考の方法が、「無知の知」をベースにした “対話(Socratic dialogue)”というプロセスでした。

(p134より引用) ソクラテスはまず簡単な質問をする。・・・相手の示したありきたりな答えにたいして、さらに新たな問いかけをする。・・・ソクラテスは自明に思えることにはつねに警戒していた。・・・
 この作業がソクラテスの対話の主な内容であり、彼の対話の面白さとダイナミズムの源泉となっている。ソクラテスは対話において、何らかの結論に到達することを目指していたわけではない。彼の目的とするところは、話しかけている相手に考える方法を教えること、何よりもまず、自分の力で考える方法を教えることである。

 「自分の力で考える」ということのゴールは、「既定の正しい答え」にたどり着くことではありません。
 そもそもこの世の中、多種多様な価値観が混在・並存しているのが常ですから「絶対的正解」というものはほとんどの場合「ない」のです。「ある」とすれば、それは、ひとつ価値観への誘導であり、ひとつの権力による強制といった類のものでしょう。

(p135より引用) ソクラテスの会話における解放的な要素は、・・・「正しい答え」にたいして、そして「正しい答え」があるべきだという考え方にたいして、ソクラテスが敵意を抱いていたことから生まれるのである。・・・ソクラテスは、こうした個人の独立した思考を拒否する考え方に、生涯をつうじて抵抗したのだった。

 この権威からの自由を目指すソクラテスの考え方は、当時のギリシャの民主制の世の中のみならず、多様な価値観が併存する現代社会においても尊重すべき思考の基本姿勢ですね。

 ちなみに写真は、昨秋(注:2015年)訪れたメトロポリタン美術館で出会ったソクラテスです。


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