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八甲田山 死の彷徨 (新田 次郎)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

 新田次郎さんの代表作、もう40年以上経ちますが映画化もされた有名な作品です。私も以前から気にはなっていて、ようやく手に取ってみました。

 しかし、小説で読んだだけでも想像を絶する困難で無謀な雪中行軍だったのですね。途中の連絡手段も持たず、非常事態時の救出プランもないままに、真冬の八甲田山踏破を試みさせるというのは理解不能です。確信犯的な「実験」と言わざるを得ません。

 名著「失敗の本質」で取り上げられた “太平洋戦争時の日本陸軍の救いようのない思考スタイル” が、このころにすでに軍幹部・将校はもとより下士官から兵卒に至るまで軍隊という特殊集団の根底に巣食っていました。

 まさにそのものの姿、神田隊が猛吹雪の中、進退を決める作戦会議。

(p152より引用) 「お話し中でありますが......」
将校の作戦会議の輪を更に取巻くようにできていた下士官の輪の中から長身の下士官が進み出て、山田少佐に向って挙手の礼をすると、
「ただいま水野医官殿は進軍は不可能だと言われましたが、不可能を可能とするのが日本の軍隊ではないでしょうか、われわれ下士官は予定どおり田代へ向って進軍することを望んでおります」
 その発言と同時に下士官の輪がざわめいた。そうだ、そのとおりだという声がした。更に、二、三名の下士官が進み出る気配を示した。
 山田少佐は、容易ならぬ状態と見て取ると、突然軍刀を抜き、吹雪に向って、
「前進!」
と怒鳴った。
 それはまことに異様な風景であった。作戦会議を開きながら、会議を途中で投げ出して、独断で前進を宣言したようなものであった。紛糾をおそれて先手を取ったといえばそのようにも見えるけれども、なにか、一部の下士官に突き上げられて、指揮官としての責任を見失ってしまったような光景であった。・・・だが、すべては終わった。結論が出たのである。・・・青森歩兵第五聯隊雪中行軍隊二百十名は吹雪の中へ、死の行進を始めた。
 時に明治三十五年一月二十三日十二時十五分であった。

 そして、今2021年(注:最初の投稿時)にも、舞台は違えども日本は様々な意思決定の場において、同じ轍を踏みつつあります。

 この記録文学の結尾、新田次郎氏はこう結んでいます。

(p320より引用) やはり、日露戦争を前にして軍首脳部が考え出した、寒冷地における人間実験がこの悲惨事を生み出した最大の原因であった。
 第八師団長を初めとして、この事件の関係者は一人として責任を問われる者もなく、転任させられる者もなかった。すべては、そのままの体制で日露戦争へと進軍して行ったのである。

 そして、さらにそのまま太平洋戦争へと突き進んでいったのです。



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