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100年前の世界一周 ある青年の撮った日本と世界 (ボリス・マルタン/ワルデマール・アベグ)

 ちょっと前に、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」を読んだところですが、本書は、まさに1905年から06年の世界、日本でいえば日露戦争当時の世界の風景を映し出したものです。

 世界一周の旅をしたのは、ドイツ人ワルデマール・アベグ
 船でヨーロッパを発ち、アメリカ東海岸に上陸。その後、アメリカ大陸を横断し、西海岸から太平洋を渡って、日本・朝鮮・中国・インドネシア・インド・スリランカなどを巡りました。

 その間、1年半。ワルデマールは訪れた世界各地で多くの貴重な写真を撮影しました。まだ荒涼とした台地を西海岸目指して延びる大陸横断鉄道、清朝末期、辮髪の男達が行き交う上海・・・、それらに比して、ホワイトハウスとタージマハルは白く今と変わらない姿で写っていました。
 もっと遥か昔だったかのように感じられる人々の生活風景、100年前であっても今のものと見紛うような建物、・・・、ワルデマールの残した写真を眺めていると、いくつかの時代が幾重にも重なっているように見えてきます。とても興味深い本です。

 117点にのぼる写真。その中でもアメリカに着く船上から写した「自由の女神像」は特に印象的です。今ではその背後にマンハッタンの超高層ビル街が迫っているのでしょうが、当時の写真の「自由の女神」の背景は空でした。

 ワルデマールは日本も訪れています。太平洋を横断して横浜に着いたのは、日露戦争が終わって間もない1905年12月末でした。日本の風景、出会った人々、ワデマールが受けた強烈な印象は、その回顧文と数多くの写真に十分に表れています。

 さて、長い旅の最後の訪問地セイロン(現スリランカ)に至ったとき、ワルデマールの感性は、旅に出る前とはそれは大きく変わっていました。

(p207より引用) コロンボにはヨーロッパから到着したばかりの船がたくさん停泊していた。町やホテルにもヨーロッパ人の旅行者があふれていた。当然、私は彼らと接触を持つようになるのだが、どうしても彼らと、今まで旅の中で出会った人々を比較せざるを得なかった。日本では礼儀正しく、控えめで、偉大な文化をしめす簡素さを持ち合わせた人々に出会った。中国とインドでは質素で、貧しさの中にあっても多くを要求することなく暮らす人々を知った。ジャワでは息苦しいような熱帯の植物ととけ合って、花のように存在する人々がいた。それに比べ、このヨーロッパ人の姿のなんと不自然なことだろう。

 ヨーロッパとアジアとの差。「深夜特急」で描かれた沢木耕太郎氏の姿と重なるところがあります。
 本書の著者ボリス・マルタン氏はこう記しています。

(p207より引用) ある意味でこの旅は、彼が自分の文化から受け継いだ粗野な部分を矯正し、厳格な教育によって形作られた人格の基盤を揺るがすものとなった。同時に、無意識のうちに彼の心に根を張っていた西洋中心主義をも揺るがした。

 未知の国への旅は、誰に対しても、その時までに堆積された世界観を根っこから揺り動かすもののようです。

(p216より引用) 好むと好まざるとにかかわらず、旅は私をかつての自分とはまったく別の人間に変えた。そして誉れ高いヨーロッパが自然からかくも遠ざかり、その文明も文化もおとしめてしまったことを悟ったのだ。

 旅を終えるにあたってのワルデマールの言葉です。



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