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超・格差社会アメリカの真実 (小林 由美)

格差の歴史

 本書の特徴は、現代アメリカの格差社会の実情をレポートするのみならず、その格差社会が成立した歴史的・政治的背景についても詳細に解説しているところにあります。

 アメリカの格差社会は、レーガン・クリントン・ブッシュJr政権下で益々拡大していったといいます。レーガンの時代税制度の変革によって、クリントンの時代資産の証券化に代表される金融商品の登場によって、より持てる者への富の移動が行われたのです。

(p100より引用) 本来、事業の目的は、消費者に役立つものやサービスを作り出し、その事業をいっしょに育て、その努力の成果を分け合って、皆の人生をよりハッピーなものにすることだった。しかし持ち主代表が事業と無縁の人々となると、彼らには事業を育てるノウハウも愛着も責任も乏しいわけだから、本来の目的は跡形もなく捨て去られる。事業の目的は、事業の金融商品としての価値を上げることにすり替わる。だから技術革新の活かし方も政治圧力の使い方も、従業員の扱い方も、かつてとは当然違ってくる。・・・
 実際、周囲を見回しても新聞や雑誌を見ても、会社を売ることをミッションとしてCEOに就任した人が、人員削減や開発・設備投資の削減で利益を絞り出し、帳簿を美しく化粧し、会社を売却する、というケースが繰り返されている。

 そして、ブッシュJrの時代は、イラク侵攻に代表されるあからさまな石油・軍需関連企業への傾斜政策の実行に明け暮れました。

 今回の金融危機に際しても、アメリカ社会に対して感じる強烈な違和感があります。ストレートに言えば「金儲け礼讃主義」です。
 この点について、著者は「アメリカン・ドリームと金権体質の歴史」の章でこうコメントしています。

(p176より引用) 「He has lots of money. He must be doing something right.」という言葉をよく耳にする。・・・「お金を儲けられることが正しいことであり、正しいやり方」ということで、それは嫌味でも皮肉でもなく、本気で語られる言葉だ。それだけ「メイキング・マネー」に対する信念は強く、全てのアメリカ人の無意識の前提条件になっている。共通の価値基準でもあるし、共通の夢だと認識されているから、誰とでも共有できる共通の話題でもある。

 本書であきらかにされている移民・建国以来のアメリカの歴史は、コンパクトではありますが非常によく整理されているように思います。

 「移民」の国であるということ、そして移住当初からの富裕層、その後フロンティア拡大のフェーズでの成功者層、それらの系譜が数百年間脈々とアメリカ社会において大きなポジションを占めていることを改めて認識することができました。

 その点では、やはりアメリカは“稀有の国”であり、この国の形は、ある価値観からいえば、一つの成功事例かもしれません。
 しかしながら、歴史を異にする国々にとっては、必ずしも容易に模倣できるようなお手本ではないような気がします。

それでも夢のある国?

 著者は、本書で、現在のアメリカを少なくとも経済的な観点からは「超格差社会」だと断じています。

 しかしながら、そういう厳しい社会においても多くの人々は、何故かその他の国より楽天的です。

(p241より引用) 大半の人には、「諦めたら終わり、諦めないで頑張れば、必ずいいことがある」という信念がある。それがアメリカのバイタリティに他ならないし、アメリカン・ドリームに象徴されるオプティミズムでもある。
 「人生はこうあるべき」とか、典型的なキャリア・コースがアメリカには存在しないという事実も、人生の選択肢を広げる。仕事に退屈したり失望したりしたら、別の仕事を探せばいい。

 このオプティミズムは、移民の国として始まり、皆が同じく機会を求めて努力した経験によるもののようです。個人の努力に対してフェアな感覚があるのです。

(p245より引用) アメリカでは、階層を駆け上がる上方移動の可能性が、他国に比較して高い。その最大の原因は、スキルやノウハウといった個人の能力に対し、社会が高い価値を認めているからだ。

 そして、本書で著者が指摘している重要な点は、そのオプティミズムをリアルなビジネスに結びつける仕掛けをアメリカが有しているという点です。それは「クリエイティビティを事業化する仕掛け」です。

(p261より引用) クリエイティビティを事業化して活用するためには、それを尊重する風土や教育から始まって、クリエイティビティを具体化する苗床、チーム・アプローチのフレキシブルなマネジメントで実用化の目途をつけるプロセス、コマンド・システムの周辺でフリーゾーンを維持・マネジメントする仕組み、量産・量販に移行するプロセス、パテントやブランドによる知的財産の法的・実務的保護まで、各段階に応じた多様で広範囲のマネジメント・ノウハウと、社会的な仕組みがいる。

 この仕掛けが機能していることは、オプティミズムを活性化するスパイラルとなり、アメリカにおいて両者は共生関係を築いているようです。

 最後に、アメリカと日本との比較から、著者が指摘する「日本経済活力低下の原因」についてのくだりです。

(p326より引用) 大銀行の集中と政策金融機関の実質的な廃止が、中小企業へに融資削減や融資コストの上昇につながることは、十分に予測できたはずだった。大きな金融機関にとっては、融資額の小さい中小企業金融は手間がかかって効率が悪く、さらに中小企業の経営環境を実感することも難しいから、定性的な審査が困難だからだ。そしてそれが現実となり、日本の経済力を支えていた中小企業金融は極度に圧迫されて、日本経済の活力を低下させてきた。

 こういうコメントに触れると、日本とアメリカとの決定的な相違は、ベンチャー企業を育てる意思を社会として持っているか否か、特にその具体的な担い手である金融機関にそういう企業育成スピリットがある否かという点だと改めて思います。



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