14歳からの哲学―考えるための教科書 (池田 晶子)
著者の哲学者池田晶子氏は1960年生れ。ほぼ私と同年代です。(2007年2月に、若くしてお亡くなりになりました)
本書は、タイトルにあるように中学生(14歳)を意識して、「自分で考える」ということを哲学的なアプローチで説いているものです。
(p43より引用) 「わからない」と感じることを、どこまでも考えてゆくようにして下さい。「わからない」ということは、答えではなくて、問いなのです。
また、こうも言っています。
(p80より引用) 考えるということは、多くの人が当たり前と思って認めている前提についてこそ考えることなのだと、君はそろそろわかってきているね。
本書は、一貫して「自分で考える」ことを薦めています。
「自分で考える」ことを前提とした「哲学書への接し方」についての著者の考えです。
(p207より引用) 君が求めているのは、「考えて、知る」ことであって、「読んで、覚える」ことではないからです。自分で考えて知るために、他人の本を読んで覚える必要はありません。・・・でも、そんな仕方で哲学の本を読んで、考えたつもりになってしまうことが多いので、あれらの本を読むのは、自分で考えるとはどのようにしてなのか、なんとなくでもわかってからの方がいいかもしれません。そうして考えながら読んでみるなら、あんなに面白い読書はありませんよ。
さて、この本、第1章は、「自分が、思う」で始まっています。そして、「自分が思う=自分で考える」ということを縷々説明し、最終章で「自分がある」に至っています。まさに、デカルトの「cogito ergo sum.:コギト・エルゴ・スム(=ワレ惟ウ、故ニワレ在リ)」を説いているのでしょうか?
私には哲学的な素養がないので、よくわかりませんが・・・
よくわからないと言えば、本書の内容です。丁寧に説明はしてくれているのですが、それこそ、ゆっくりきちんと考えながら読まなくては太刀打ちできません。
あとがきの「14歳以上の人へ」にもこうありました。
(p208より引用) 対象はいちおう14歳の人、語り口もそのように工夫しましたが、内容的なレベルは少しも落としていません。落とせるはずがありません。なぜなら、ともに考えようとしているのは、万人もしくは人類に共通の「存在の謎」だからです。
私の場合、14歳をはるかに越えているのですが、情けないことに“考える力”は日に日に劣化しています。
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