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方法序説 (デカルト)

叡智の先導

 「方法序説」は、デカルトが41歳のときの書です。
 その正確なタイトルは「理性を正しく導き、学問において真理を探求するための方法の話。加えて、その方法の試みである屈折光学、気象学、幾何学」だそうです。

 デカルトは、この著作の目的を

(p11より引用) 自分の理性を正しく導くために従うべき万人向けの方法をここで教えることではなく、どのように自分の理性を導こうと努力したかを見せるだけなのである。

と述べています。

 この本は(ラテン語ではなく)フランス語で書かれていることからも、当時の学問に関心を持つ一般人を読み手として意識していたことが窺い知れます。
 そういった読者に対して、デカルトは謙虚な姿勢でこう語りかけます。

(p11より引用) この書は一つの話として、あるいは、一つの寓話といってもよいが、そういうものとしてだけお見せするのであり、そこには真似てよい手本とともに、従わないほうがよい例も数多くみられるだろう。そのようにお見せしてわたしが期待するのは、この書がだれにも無害で、しかも人によっては有益であり、またすべての人がわたしのこの率直さをよしとしてくれることである。

 当然ではありますが、デカルトは自分の学問の探究に自信を抱いていました。しかし、それは決して独りよがりの慢心ではありませんでした。

(p83より引用) ところでわたしは、これほどに重要不可欠な学問の探究に全生涯を当てようと企て、わたしの見いだした道が、人生の短さと実験の不足とによって妨げられさえしなければ、その道をたどって間違いなくその学問が発見されるはずだと思われたので、この二つの障害に対して次のこと以上によい策はないと判断した。それは、自分の発見したことがどんなにささやかでも、すべてを忠実に公衆に伝え、すぐれた精神の持ち主がさらに先に進むように促すことだ。

 ひとりの能力を重んじ礼賛するのではなく、自らと同様に、全ての人がそれぞれの学究の成果を提供し、協力し合い、叡智を結集して前進することを望んでいたのでした。

(p84より引用) その際、各自がその性向と能力に従い、必要な実験に協力し、知り得たすべてを公衆に伝えるのである。先の者が到達した地点から後の者が始め、こうして多くの人の生涯と業績を合わせて、われわれ全体で、各人が別々になしうるよりもはるかに遠くまで進むことができるようにするのである。

方法的懐疑の萌芽

 デカルトは、年少のころから当時としては一流の教育環境にあり、人文学・スコラ学・医学・法学等を学びました。その後、彼は書物を捨て、旅に出て外部世界でさまざまな経験を積みました。

 そういった中でデカルトが常に抱いていた問題意識は以下のようなものでした。

(p18より引用) わたしは、自分の行為をはっきりと見、確信をもってこの人生を歩むために、真と偽を区別することを学びたいという、何よりも強い願望をたえず抱いていた。

 デカルトにとっては、旅での経験が極めて大きな意味をもっていました。デカルトの旅は、文字通りの「旅」もあれば、オランダでの学究生活やドイツでの従軍生活等といった「異郷での暮らし」もありました。
 そういったさまざまな経験から、デカルトは、従前から盲目的に信じられている事柄に対する「懐疑の姿勢」を体得していきました。

(p18より引用) われわれにはきわめて突飛でこっけいに見えても、それでもほかの国々のおおぜいの人に共通に受け入れられ是認されている多くのことがあるのを見て、ただ前例と習慣だけで納得してきたことを、あまり堅く信じてはいけないと学んだことだ。

 そして有名なドイツ冬営地での「炉部屋の思索」に至ります。

(p23より引用) わたしは次のように確信した。・・・わたしがその時までに受け入れ信じてきた諸見解すべてにたいしては、自分の信念から一度きっぱりと取り除いてみることが最善だ、と。後になって、ほかのもっとよい見解を改めて取り入れ、前と同じものでも理性の基準に照らして正しくしてから取り入れるためである。古い基礎の上だけに建設し、若いころに信じ込まされた諸原理にだけ、それが真かどうか吟味もせずに依拠するより、このやり方によって、はるかによく自分の生を導いていくことに成功すると堅く信じた。

4つの規則

 事物の認識に至るための真の方法として、デカルトは「4つの規則」を示します。「明証」「分析」「総合」「枚挙」です。

(p28より引用) 論理学を構成しているおびただしい規則の代わりに、一度たりともそれから外れまいという堅い不変の決心をするなら、次の四つの規則で十分だと信じた。
 第一は、わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないことだった。・・・
 第二は、わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。
 第三は、わたしの思考を順序にしたがって導くこと。・・・
 そして最後は、すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。

 この「方法」の代表的な適応例が「解析幾何学」であり「代数学」です。
 デカルトが数学にもたらした最大の貢献は、解析幾何学の体系化だと言われています。また、方程式論にも貢献しました。未知数や既知数を示すために、xやaといったアルファベットを初めて使ったのは彼でした。数の累乗を表わすための指数表記も考案しました。

 これらの「方法」の確立により、論理的・演繹的思考が広く一般にも流布されたと同時に、代数学の問題において、ある種機械的な数式処理による解法の定着が図られたとのことです。

(p32より引用) この方法でわたしがいちばん満足したのは、この方法によって、自分の理性をどんなことにおいても、完全ではないまでも、少なくとも自分の力の及ぶかぎり最もよく用いているという確信を得たことだ。さらに、この方法を実践することによって、自分の精神が対象をいっそう明瞭かつ判明に把握する習慣をだんだんとつけてゆくのを感じたことだ。

当座の道徳

 さて、デカルトが一から思想の再構築に取り掛かっている最中、そうはいっても、世の中は動いています。その中で暮らしている以上、世の中の様々な事柄との何らかの関わりは避けられません。
 そういう時、実生活の中では、「『真』であるか否かが明晰に判明していない以上は何も決定しない(動かない)」とばかり言っても始まりません。

 デカルトは、そういう場合を想定して、基本的行動メルクマールを規定していました。

(p34より引用) 理性がわたしに判断の非決定を命じている間も、行為においては非決定のままでとどまることのないよう、そしてその時からもやはりできるかぎり幸福に生きられるように、当座に備えて、一つの道徳を定めた。それは三つ四つの格率から成るだけだが、ぜひ伝えておきたい。

 このいくつかの「格率」は、現実的でオーソドックスなものです。

(p34より引用) 第一の格率は、わたしの国の法律と慣習に従うことだった。・・・さらにわたしは、等しく受け入れられているいくつもの意見のうち、いちばん穏健なものだけを選んだ。・・・

 この基準は、「保守的」というよりも「中庸」という立場に近く、その点では、極端に振れないリスクヘッジの効いたメルクマールだと言えます。

(p36より引用) わたしの第二の格率は、自分の行動において、できるかぎり確固として果断であり、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うことだった。

 この第二の格率も不透明な条件下での鉄則です。
 いったん「これで行く」という蓋然性の高い選択肢を選んだ以上は、徹底してその道を進むべしと言うのです。
 実行にあたって不安になり心が揺れるようであれば、そもそもその選択肢を選ぶべきではなかったのですから、当然といえば当然です。が、現実的には徹底は難しいものです。心しなくてはなりません。

(p37より引用) わたしの第三の格率は、運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、つねに努めることだった。そして一般に、完全にわれわれの力の範囲内にあるものはわれわれの思想しかないと信じるように自分を習慣づけることだった。したがって、われわれの外にあるものについては、最善を尽くしたのち成功しないものはすべて、われわれにとっては絶対的に不可能ということになる。そして、わたしの手に入らないものを未来にいっさい望まず、そうして自分を満足させるにはこの格率だけで十分だと思えた。

 こういった自力で最善を尽くしたあとのある種「割り切り」の哲学は、マルクス・アウレリウスの「自省録」にも見られます。

(p39より引用) 最後にこの道徳の結論として、この世で人びとが携わっているさまざまな仕事をひととおり見直して、最善のものを選び出そう、と思い至った。他の人の仕事については何も言うつもりはないが、わたし自身はいまやっているこの仕事をつづけていくのがいちばん良いと考えた。すなわち、全生涯をかけて自分の理性を培い、自ら課した方法に従って、できうるかぎり真理の認識に前進していくことである。

 ここにおいてデカルトは、自分の人生の道を明晰に確信したのです。

ワレ惟ウ、故ニワレ在リ

 いよいよ、「cogito ergo sum.:コギト・エルゴ・スム」です。
 ここに至る以前から、デカルトは、自分で明晰に「真」と判明できないものは「偽」とする姿勢を貫いていました。

(p45より引用) 当時わたしは、ただ真理の探究にのみ携わりたいと望んでいたので、これと正反対のことをしなければならないと考えた。ほんの少しでも疑いをかけうるものは全部、絶対的に誤りとして廃棄すべきであり、その後で、わたしの信念のなかにまったく疑いえない何かが残るかどうか見きわめねばならない、と考えた。・・・

 デカルトは、さらに思索を進めていきます。
 そして、ついに第一原理に達します。すべての思索の原点となる唯一の確実な事実です。

(p46より引用) このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない・・・。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟ウ、故ニワレ在リ〕」というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。

 さて、この第一原理から、デカルトは、

(p48より引用) 「(考えるために存在するわたしたちが)きわめて明晰かつ判明に捉えることはすべて真である」

と判断しました。

 この思索の流れがいわゆる「方法的懐疑」であり、デカルトが科学、とりわけ数学の合理主義的帰納法を哲学に用いようとしたと言われる所以です。

 さらに、論はデカルトの「心身二元論」に進みます。

(p46より引用) それから、わたしとは何かを注意ぶかく検討し、次のことを認めた。・・・わたしは一つの実体であり、その本質ないし本性は考えるということだけにあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない、と。したがって、このわたし、すなわち、わたしをいま存在するものにしている魂は、身体〔物体〕からまったく区別され、しかも身体〔物体〕より認識しやすく、たとえ身体〔物体〕が無かったとしても、完全に今あるままのものであることに変わりはない、と。

 この(「方法序説」の)第4部が「方法序説」中、最も有名な論証の節ですが、引き続き第5部にて、公刊されなかった「世界論」のエッセンスが示され、第6部では、ガリレイ事件後のデカルトの学究の姿勢が語られます。


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