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忘れ得ぬ人々と谷崎潤一郎 (辰野 隆)

(注:本稿は、2015年に初投稿したものの再録です)

 新聞の書評欄で紹介されていたので、興味をもって読んでみた本です。

 著者の辰野隆氏は、東京駅・日本銀行本店等を設計した建築家辰野金吾氏の息子で、三好達治・小林秀雄らを教え子にもつフランス文学者。
 本書は、そういった辰野氏が交流した作家・文学者・友人たちとの思い出を、氏一流の筆致で著した随想集です。

(p66より引用) いささか大雑把な物の言いようではあるが、私見に拠れば、露伴、鴎外、漱石、潤一郎が近代日本の文芸苑における四天王だと思う。

 そう語る著者ですが、「露伴先生の印象」という小品の中で、日本評論の座談会にて初めて幸田露伴を直接目前に見た、その時の思い出を語ったくだりをご紹介します。

(p38より引用) もの静かに談笑する先生の微醺を帯びた温顔を眺めながら、僕は床しき翁の物語に聞き惚れる児童の楽しさを味到したのである。

 こういった滋味に溢れた表現は、最近全く目にすることはありませんね。

 さて、本書では、数多くの文化人が登場しますが、その中で、名前は知っているものの、その思想等については私として不勉強の人物が何人かいました。
 その中のひとり「長谷川如是閑」氏について語った章で、ちょっと気になった著者の記述を書き留めておきます。

(p127より引用) 考えて見ると、我が邦の感情史は二千年来の伝統を有しているにも拘らず、思想史は近々五十年来の薄化粧にすぎない。一風呂浴びれば消え失せる白粉にすぎない。明治中期までの民権も自由も竟に思想とはなり得なかった旗じるしの単語であった。現代政治家の目もあてられぬ思想の貧困が遺憾なくそれを証明している。・・・長い前途を照らす健全自由な思想さえ国歩の指針となり得そうもない事を考えると、耿々たる好学の徒も腕を拱いて、岐路に佇む他はなかろう。

 この状況は、日本の思想社会において、まさに今日も含めいつまで続くのか、「思想の貧困」という言葉が重く覆い被さります。

 さて、本書の後半部には「谷崎潤一郎」と著者との交友を著した小文がいくつか載せられています。
 著者と谷崎とは、府立一中以来の友人とのこと、当時から谷崎の詩作に見られる文学的素養は傑出していたものだったようです。
 そういった若き日の谷崎を著者はこう評しています。

(p231より引用) 谷崎は思想の分析や、論理を徹底せしむる方面は寧ろ不得意でもあり、あまり興味も持っていなかったらしい事である。読む者も亦、思想を論究する批評家と云わんよりも寧ろ思想の壁画を描くが如き彼の叙事詩作者的手腕に惹かれるのである。

 確かに、本書で紹介されている学生時代の谷崎の詩は素晴らしいと思います。が、それも本当に見るべきところを見て感じているのか、私自身、とても覚束ないところがあります。

 随筆といえども、本書を楽しむには、著者が言う近代日本の文芸苑における四天王、露伴・鴎外・漱石・潤一郎の作品は一通り読破しておく位の準備がなくてはだめなようです。
 ちなみに谷崎潤一郎の著作は「陰翳礼讃」ぐらいしか読んでいない私には・・・、到底無理です・・・。



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